家族のあり方

『所変われば品変わる』といいますが、日本を離れて異国で暮らしていると、同じ事象に対して自分の母国と全く異なる対応・受け取り方がなされていることによく驚かされます。
今回はフランスでは決して珍しくない再構築家族(子連れ再婚)を例に、家族のあり方について考えてみようと思います。

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先週の日曜日の夜8:00頃、降りしきる雪の中、夫と私はモンパルナス駅まで車を走らせていました。友人に代わって、冬休みを過ごすために地方から1人でパリにやってくる彼の息子を迎えに行くためです。
この少年の名前はテオ。金髪で青い目の、絵に書いたような可愛い8歳の男の子です。
彼の両親は、彼が生まれた直後に離婚し、その後は母親に引き取られて地方で暮らしています。一方、我々の友人であるその父親は、離婚後まもなく既に子供が2人いる女性と再婚し、普段はこの3人と暮らしています。
しかし、一週間以上にわたる長い学校の休みや祭日になると、テオは父親の新しい家族と休日を過ごすため、毎回1人でTGV(日本でいう新幹線)に3時間揺られてパリにやって来ます。
いつもは父親が駅まで息子を迎えに来るのですが、今回は新しい奥さんと旅行先から乗る飛行機の帰りの便がレオのパリ到着時間よりも後になる、ということで、私達が代わりに迎えに行く事になったのです。

フランス、とくにパリでは2組に1組のカップルが離婚していると言われます。最初にこの話を聞いたとき、まさか、と思ったのですが、実際にこの国で生活をしていると40代以降で離婚経験を持たない人に出会うのは確かに難しいことです。例えば私の夫は6人兄弟ですが、その中で4人が離婚経験者です。
そして、離婚した夫婦に子供がいる場合、子供が成人するまでは、それぞれの両親のところで交代で過ごさせる、ということが当たり前のように行われています。例えば学校のある平日は母親と、休日やバカンスは父親と過ごす、などです。離婚した両親が近くに住んでいる場合などは、1・2週間ごとに父親と母親の間を交代で過ごすことも珍しくありません。しかも、それは離婚時に家庭裁判所で取り決められた場合がほとんどだそうです。その理由は「子供には父親と母親の両方が必要だから」ということと、「子供は2人のものだから」とのこと。そのため靴も本も玩具も、父親宅と母親宅にそれぞれ一つずつ置いてある子供がとても多いと聞きます。
そしてフランスならではの光景ですが、子供が行き来する先の父親と母親の家には、それぞれに新しいパートナーがいて、新しい生活が始められています。

日本ではなかなか想像し難いこの形態。これでは子供は親の都合であたかもキャッチボールのように両者の間を行き来させられているのと同じではないか、子供は自分の落ち着く場所が確保できず、情緒不安定になるのではないか…と、私にはこの感覚が理解できませんでした。
しかし現実の子供たちは、私の想像以上に逞しく、現実をしっかりと受け入れて淡々と生きているようです。

夫婦という男女間の問題と、子供の問題をあくまでも切り離して考えるフランス人。
子供がいようと男女の関係で問題が生じたら直ぐに関係を解消し、次のパートナーを探す。その割り切りの速さは「文化の違い」という言葉でしか説明できません。これを無責任・無神経と非難する価値観も無く、子供は「子供だから」という理由で大人の選択に黙って従って生きていくことになります。
この徹底した大人中心の世界を見てきた子供達は、早く大人になりたくて、経済的には多少不自由しようとも、学校を卒業したら直ぐに家を出て自立します。
そして、一度家を出たら親と再び同居するということはありません。日本のように「親を引き取る」とか、「二世帯住宅」という概念は存在しないようです。

「私は私、あなたはあなた」という個人主義ドグマが親子の間でも息づいているフランスならではの家族観。
「子供の為」という名目で自己犠牲的に離婚を躊躇しない一方、老後は子供に面倒を見てもらうとか一緒に暮らすということも考えない。特にパリでは1人暮らしの老人がとても多く、孤独死もいちいち新聞で取り上げられないほど頻度の高い社会現象です。
これは、フランスでは「親孝行」という言葉に代表される、儒教精神に基づいた「親」だから「子だから」という概念が無く、人間等しく神の子であるというキリスト教的宗教観がベースにあるからではないでしょうか。

フランス人の親子を見ていると、大人になっても抱き合ったり頬にキスしたりと、一見「濃い関係」のように見えますが、同時に彼らの関係に一種独特の緊張感を感じるのは、そういうところからくるのかもしれません。

2006年03月02日