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<title>フランス通信ブログ</title>
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<modified>2010-02-02T23:14:05Z</modified>
<tagline>サン・フレアのフランス駐在コーディネータによるフランス通信ブログ
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<copyright>Copyright (c) 2010, samizu_y</copyright>
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<title>世界を変える？　ニッポン発ユニクロがパリジャンの心を掴むまで</title>
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<issued>2010-02-01T22:18:21Z</issued>
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<summary type="text/plain"> クリスマスを過ぎ、冬の大バーゲンも下火になった今、パリの街はどことなく寂しい。...</summary>
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<name>samizu_y</name>

<email>samizu_y@sunflare.co.jp</email>
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<![CDATA[<p><img alt="DSCF1000.JPG" src="http://blog.sunflare.info/samizu_y/DSCF1000.JPG" width="448" height="336" /></p>

<p><img alt="DSCF1002.JPG" src="http://blog.sunflare.info/samizu_y/DSCF1002.JPG" width="448" height="336" /></p>

<p><br />
クリスマスを過ぎ、冬の大バーゲンも下火になった今、パリの街はどことなく寂しい。<br />
モードの街、パリの既製服業界もさすがにこの世界的不況の波を免れることは出来なかったようで、去年のクリスマスを境に「テナント募集」の貼り紙をウィンドーに掲げる店が頻繁に目に付くようになった。</p>

<p>そんな中で、入場制限のできる程元気のいい店がある。<br />
ニッポン発、ユニクロ　パリオペラ店だ。</p>

<p><br />
<u><em><strong>瞬く間にパリを席巻したユニクロ旋風</strong></em></u></p>

<p>今、破竹の勢いでパリジャンを席巻しているユニクロ　パリオペラ店が大々的にオープンしたのは去年の10月1日。<br />
開店前から４００人の長蛇の列が出来るなど、そのオープニングはとても華々しいものであった。<br />
これだけ開店を待ち望まれていたということは、事前にブランドの認知度をゼロから一気に上げる操作があったはずだ。実際、私もパリでその展開を目の辺りにした者の一人だが、その大胆で戦略的な短期集中型の広告戦略はお見事の一言につきた。</p>

<p></p>

<p>あたかも、突然日本からパリのど真ん中にニュー・ブランドが上陸したかのような印象を与えたセンセーショナルな宣伝活動だったが、ユニクロの店舗自体は何年も前からパリ郊外（La Defense）にひっそりと存在していた。このLa Defenseという街は、パリから少し外れたところにある巨大ビルが建ち並ぶオフィス街で、その一角には近辺の住民やオフィスに勤める人が通勤の途中に買い物をする大型ショッピング・モールが存在する。フランス・ユニクロの初めての店舗はこのモール内にあったのだ。</p>

<p><br />
<img alt="DSCF0521.JPG" src="http://blog.sunflare.info/samizu_y/DSCF0521.JPG" width="448" height="336" /><br />
<em><strong>パリ・グローバル旗艦店の前進となったコンセプトショップ、La Defense店。</strong></em></p>

<p></p>

<p></p>

<p><br />
数年前にたまたま用事があってこのショッピング・モールに立ち寄った際、偶然、他の店舗に紛れてこぢんまりと店を構えているユニクロを目撃した。ショーウィンドウに「日本の品質」というキャッチフレーズが貼ってある他は、日本で知らぬ人はいないこのブランドの良さを訴える強烈な宣伝は何もない。他の店舗に比べて特に客が入っているというわけではなく、まったりとした現地フランス人店員の雰囲気からしても、日本のユニクロのような生彩を全く放っていなかった。「ユニクロといえど、フランスで成功するのは簡単ではないのかな」と、少し寂しく思ったのを覚えている。</p>

<p></p>

<p>ところがそのユニクロが、去年の夏からいきなり人が変わったようにパリで大々的かつアグレッシブな宣伝活動を始めたのだ。<br />
看板、掲示板の他、地下鉄ホームの駅には「ユニクロ10月1日パリ上陸！」のポスターが所狭しと張り巡らされた他、殆ど全ての新聞雑誌媒体には必ずユニクロを紹介する記事が載せられた。殆どのパリ市内・近郊の国営バスが「日本のクオリティー、ユニクロ、パリ上陸」というド派手な広告を背中に背負いながら街中を走行するので、街を歩けば嫌でも応でもこの独特なロゴ「UNIQLO」が目に付くようになった。<br />
車に乗っている時、ユニクロ広告を背中全体に貼ったバスの後方で信号待ちをしたことが何回もあったが、個人的にはこの「バスの背中の広告」が一番効果的だったのではないかと思っている。どんな無頓着の人でも信号待ちの間は、その間ブレーキを踏んで前方にそびえる大きな背中をじっくりと見つめざるを得ないからだ。</p>

<p>パリでの旗艦店を成功させる、という断固たる決意を象徴するように、一部の漏れもなくパリ圏内のいたるところにユニクロのロゴが飛び交った。この徹底した広告活動は２ヶ月にも満たなかったと思う。<br />
しかし、この短期集中広告作戦で、老若男女を問わずパリ圏内の幅広い消費者層に「UNIQLOという、画期的な日本の衣料メーカーがパリにやって来る」ということをあっという間に認知させたのだった。</p>

<p><br />
<img alt="DSCF1005.JPG" src="http://blog.sunflare.info/samizu_y/DSCF1005.JPG" width="448" height="336" /><br />
<em><strong>Japanese Technology　の結晶“ヒートテック"は、パリでも大人気。<br />
品切れが続き、急遽日本から在庫を取り寄せたという。</strong></em></p>

<p></p>

<p>彼らが掲げたキャッチフレーズは、主力商品ヒートテックに象徴される“Japanese Technology”。<br />
ヨーロッパにおける「日本＝技術大国」というイメージは、もはや子供でも条件反射的に連想するほど浸透している。そしてユニクロは、広告の要であるキャッチフレーズにこれを持ってきた。<br />
ファッション性やトレンドが支配的な価値基準である既製服業界で、精密機械を連想させる「Technology」をブランドの強みとして掲げたユニクロの広告は、代えって新鮮で真実味のあるキャッチとなり、好奇心の強いパリジャンを大いに惹きつけた。<br />
パリ店舗の客層に、いわゆるBobo =Bourgeois-bohème（≒裕福な自由人。経済的ゆとりがある心情左派の人を指す。）という高感度な人達が多い理由はその辺にあるのかもしれない。</p>

<p>同じ価格帯の既製服市場では、トレンド性豊かなZARAやH&Mなど手強い競合が存在するが、「Japanese Technology」「Japanese quality」という、日本が持つ強み、ポジティブなイメージを押しだしたことにより、これら既存の欧州大御所のブランドイメージとの差別化に見事成功したようだ。</p>

<p><br />
<img alt="DSCF1008.JPG" src="http://blog.sunflare.info/samizu_y/DSCF1008.JPG" width="336" height="448" /></p>

<p><em><strong>パリらしい小粋なディスプレイ。ショーウィンドウの中で、トータルコーディネートされたマネキンがぐるぐる廻る。</strong></em></p>

<p><br />
ユニクロのパリ進出は、５年越しの計画だったという。<br />
この間、人の出入りの多い郊外のショッピングセンターにひっそりと小さな売り場を設け、着々と現地のマーケティング調査を進め、機が熟した時に、バーンと一気に広告費を投入するという短期集中型の広告作戦。<br />
宣伝費を最も効果的に使った例ではないだろうか。</p>

<p></p>

<p>街に溢れていたユニクロ広告は、開店とほぼ同時期に、スーッと姿を消し、街角で広告を見ることは殆ど無くなった。<br />
価格と品質の良さは厳しい日本の消費者によって既に太鼓判を押されている。いったんブランドの知名度を確立してしまえば、あとは街頭・媒体広告の力を頼らずに、売上げを伸ばしていく自信が十分あるのだろう。オペラ店も順調に固定客、新規客を獲得していっているようだ。</p>

<p><br />
<img alt="DSCF1015.JPG" src="http://blog.sunflare.info/samizu_y/DSCF1015.JPG" width="336" height="448" /></p>

<p></p>

<p>私が12月上旬に始めてパリオペラ店に行ってみたときは、土曜日の午後という時間帯のせいかもしれないが、既に店の前には長い行列が出来ており、入場制限がされていた。</p>

<p>なんとか店に入ってみると、厳つい顔つきの警備員兼入場整理係が立っていて、入り口で「一般買物客」と「返品・取替え希望客」を手際よく分けて誘導している。恐らく店内の混雑を避けるために、返品だけを目的に来た客には、入り口と直結している返品用レジに直行してもらう、という配慮なのだろう。</p>

<p>店員の構成はフランス人と日本人が半々という印象をうけた。<br />
フランス人店員も日本式の研修を受けているらしく、きびきびと身体がよく動く。商品を手にもってウロウロしていると、「Madame, これにお入れ下さい」とスッとカゴを差し出してくれるし、試着室はどこか、と聞くと自らそこに連れて行ってくれる。日本では当たり前のことだが、フランスでは決してありえなかったことだ。<br />
ズボンの裾直しも日本と同じく無料で、出来上がりは20分後ということになっている。試着室から出てきたフランス人がこのサービスを知って“C’est genial!（＝それは素晴らしい！）”と感動しきった声を上げていたのが印象的だった。</p>

<p>レジには常にフロアを半周するほどの行列が出来ているが、回転は恐ろしく速い。<br />
一つのレジが空くと、その担当者が手を挙げて「次のお客様！」と大きな声で点呼する。行列の中の客もぼやぼやしていられない。</p>

<p>フランス人の店員といえば、勤務中の同僚との私語は当たり前、何か問い合わせをすると「それは私の担当ではないから」と、たらい回しにされるのは日常茶飯事だ。<br />
そういう国に、「お客様は神様」という文化の国にあって、さらに顧客志向で有名なこの企業が、「日本のサービスを徹底する」という揺るぎない信念をもって乗り込んだのだ</p>

<p><br />
<em><u><strong>「FROM TOKYO TO THE WORLD　－　服を変え、常識を変え、世界を変えていく」という挑戦</strong></u></em></p>

<p><br />
<img alt="DSCF1010.JPG" src="http://blog.sunflare.info/samizu_y/DSCF1010.JPG" width="448" height="336" /></p>

<p><br />
進出以降、現地の文化や慣習に逆らわず「フランス化」してしまう日本企業が多い中で、ユニクロ　パリオペラ店は断固たる意志で「日本のユニクロ」をそのままフランスに移植しようとしているようだ。今のところ、商品・サービスの質において妥協は一切見受けられない。<br />
従業員がフランス人だろうと日本人だろうと、彼らは「ユニクロの人」ということで容赦なく日本同様のサービス、品質をカスタマーに提供することを徹底している。</p>

<p>しかし、そこで素朴な疑問が頭をよぎった。<br />
商品の質はともかく、店舗でのサービス、つまり従業員の質を日本と均一にすることについては生身の人間と文化に拘わる問題だけあって、一筋縄ではいかないのではないか。<br />
しかも、従業員の半分は日本人と全く異なる労働観を持ったフランス人である。<br />
このギャップをどのように超え、「日本方式」を浸透させているのか、この当たりの事情について、在仏日本人として現地採用され、立ち上げの時からオペラ店に勤務されているＣさん（正社員）にお話を伺った；</p>

<p><br />
オペラ店立ち上げにあたって、事前に大規模の人材募集がなされた。失業率、雇用率の低下が深刻化しているパリで、まず創業メンバーとして募集したのは２００人。<br />
募集はインターネットや在日日本人が読む新聞の求人広告で行われたが、応募は殺到したという。<br />
年齢制限無し、ユニクロが求める適性と高い意欲があれば誰でもここのスタッフになれる。<br />
この「ユニクロが求める適性」を持つ人をセレクティングするために、書類審査と面接が行われている。特に面接は独創的で、その人の適性や接客・販売業に要求される「気付き」の感覚をチェックする為に様々な工夫が凝らされていたという。<br />
無事に面接をクリアし、晴れて採用された人達は、周到にプログラムされた研修をじっくり受けることになる。基本的に、最初の研修を受けた創業時メンバーが次の採用メンバーの研修に拘わる、そしてその研修を受けた人達が次回の採用者を研修する、というように、「先輩による後輩のフォーメーション」システムが取り入れられている。創業メンバーとして、次の採用人員の研修にも拘わったＣさんは、これによって、社員としての責任感と職業意識が高まったという。</p>

<p><br />
<img alt="DSCF1013.JPG" src="http://blog.sunflare.info/samizu_y/DSCF1013.JPG" width="448" height="336" /></p>

<p><br />
日本でもフランスでも色々な業界で働いてきたＣさんは、現在の職場について「若々しくダイナミックな会社、クリーンでクリアな会社」と表現する。<br />
採用に年齢制限は無いとはいっても、殆どが20代の若者で占められるスタッフの中で、成人しているお子さんを持つＣさん。現場で年齢のギャップを感じるのではないかと多少の不安はあったが、実際に働き始めると、「逆に、日々職場から若さとバイタリティーをもらっていると感じる」という。<br />
分かりやすくいうと昔で言う体育会系の職場で、肉体的にはラクでは無いが、彼女にとっては、顧客最優先主義というユニクロの経営方針とその運用方法が自分にとってクリアで100％ 納得できるものであるため、今のところ充実感こそあれ精神的なストレスや不満は感じないという。</p>

<p>従業員から見たクリーンな会社という印象は、特に徹底的な能力主義が導入された昇進システムや、上司が「自らやってみせる」従業員教育方式に向けられる。<br />
例えば、ここで昇進するには、管理上のノウハウを習得することだけでなく、商品の早畳み、レジの操作、ミシンでのズボンの裾上げといった、現場で要求される技術の全てをマスターしていなければならない。<br />
また、30代の若い店長さんが現在実行しているように、上に立つ者は、全てのユニクロの技と心を余すことなく部下に伝えるということが徹底されている。<br />
そして、技術を部下に教え込むにあたっては、マニュアルや口頭だけに頼るのではなく、マネージャーが身をもってデモンストレーションする。例えば、「○分間以内に○枚セーターを畳めなくてはいけない」と指導した後、必ずそれが物理的に可能だということを証明すべく、スタッフの一人にストップウォッチを握らせて、自ら研修生の前で早畳みの技を披露する。<br />
いくら「そんなの無理―」と自分を甘やかしがちなフランスの若者も、上司が目の前で実際にそれをやってのけたところを見てしまうと、素直に納得するようだ。<br />
管理職は奥の方で数字だけを管理して、現場は販売員に任せっぱなしという縦の棲み分けが激しいフランスの販売業界において、この点でもユニクロは革新的であるといえよう。</p>

<p><br />
ユニクロの目標『服を変え、常識を変え、世界を変えていく』ことを販売の現場でも徹底すべく、毎朝行われる朝礼の締めくくりには、必ず「いらっしゃいませ」「お待ち頂き有りがとうございました」「かごをお持ち下さい」などの6つのフレーズ（←フランス語）を皆で唱道し、最後は「宜しくおねがいいたします！」と日本語で言いながら45度のお辞儀でしめるという。また、いつも最善のコンディションで来店客を迎えられるよう、開店前・開店後にはそれぞれ３時間もの時間をかけて準備をする。</p>

<p>基本的にここで働く人達は、この妥協のない徹底した顧客志向の精神に惹かれて入社したはずだし、仕事を通じての自己の成長に充実感を感じている人が殆どだ。しかし、この日本的な完璧主義は、顧客側から歓迎されても、サービス提供者側である従業員に負荷をかけることなくして実現するのは難しい。</p>

<p>実際、儲かっても従業員になかなか旨味が回ってこないストイックな財務システムや、完璧な顧客満足を追求するがあまり慢性的になる超過労働や深夜残業などに典型的な日本企業の姿を見、そこに限界を感じて去っていく人も少なくないという。</p>

<p>日本人にとって労働・仕事は尊いことであり、沢山働く人は尊敬されることはあれ、白い目で見られることはない。「今日一日、お客様の為に何ができるか、何ができたかを常に考えろ」と社長が従業員に訓辞できるのは、日本ならではの文化ではないだろうか。<br />
一方、フランス人にとって労働は基本的に苦痛であり、生きるための必要悪のような感覚がある。それ故、労働と私生活を神経質な程にきっちり分け、年に数回数週間にわたる長い休みをとる。仕事のことを考えるのは身体が会社にある勤務時間中のみのことで、私生活においてまで社訓を人生哲学として取り入れることはない。</p>

<p>こういった意識の違いが顕著に表れるのが就業時間のとらえ方で、日本ではたとえ終業時間を10分～20分過ぎていても、途中までやった仕事はきりのいいところまで終わらせる。しかし、フランス人は、規程の終業時刻15分前からソワソワして帰り支度を始め、１分たりとも規定時間以上仕事場に残ることを避ける。従って、終業時刻直前に何かものを頼んでも「時間ですから」と、時計を指しながらあっさり断られてしまう。</p>

<p>フランス人を雇用しつづける限り、こういった文化の違いによる問題は避けられない。<br />
今後、グローバル旗艦店の一つであるパリオペラ店は、従業員の定着率を重視し、その運用をだんだん「フランス的」にしてしまうのか、あるいは、あくまでも日本発信の日本式を貫きつつ『服を変え、常識を変え、世界を変えていく』いくのか。</p>

<p><br />
余談だが、この点について最近柳井社長が「年内に数百人の規模のグループ社員を海外に転勤させる方針を発表した」というニュースを目にした。これによって現在約100人いる海外勤務者数が一気に増えるとのこと。</p>

<p>決断の早い柳井社長は早くも、少数の派遣日本人社員によって現地採用社員に「日本式」をたたき込むことの限界を察知し、日本人社員だけで「海外での日本式サービス」を発信することにしたのだろうか。あるいは、現地採用者を対象とした本格的な教育システムを更に強化するための人材補強なのか。</p>

<p>グローバル旗艦店第３号というパリオペラ店が、今後どのような展開を見せていくか、同胞としてその更なる成功を祈りつつ陰ながら応援したい。</p>

<p></p>

<p></p>

<p><br />
</p>]]>

</content>
</entry>
<entry>
<title>パリ発　―　美しきデンマーク人デザイナーの心意気</title>
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<modified>2009-12-01T07:10:19Z</modified>
<issued>2009-11-30T21:42:44Z</issued>
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<created>2009-11-30T21:42:44Z</created>
<summary type="text/plain"> ブラビーさんの１６区の自宅にて。このロッキングチェアーはお母様の形見 衣食住は...</summary>
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<name>samizu_y</name>

<email>samizu_y@sunflare.co.jp</email>
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<![CDATA[<p><img alt="DSCF0884.JPG" src="http://blog.sunflare.info/samizu_y/DSCF0884.JPG" width="448" height="336" /><br />
<strong><em>ブラビーさんの１６区の自宅にて。このロッキングチェアーはお母様の形見</em></strong></p>

<p></p>

<p></p>

<p>衣食住は、生活の基本、人間として生きていく上での基本であるが、その衣食住を構成している衣服、食物、住居の「作り手」自身と出会う機会は以外に少ない。なぜなら、それらの消費者・購買者が直接に接するのは殆ど「売り手」であって「作り手」ではないからだ。</p>

<p>そんな社会構造の中、少なくとも衣・食・住のどれかにおいて、「作り手」の存在や意志をはっきり感じさせる物に出会えることは貴重だし、幸せなことだと思う。<br />
パリの服飾業界で活躍する一人のデンマーク人女性と彼女の作る服に出会って以来、そんなことを考えるようになった。</p>

<p>Anette Braaby Nielsen（アネット・ブラビー・ニールセン）さん。<br />
彼女は、服飾業界でプレタポルテといわれる高級既製服をデザインし、制作し、自ら所有するブティック（販売店舗）で販売する女性実業家である。<br />
彼女の特異な点は、デザインという創作活動と、ビジネス（管理・販売）を全部一人でこなしているということである。構想を練り、素材を仕入れ、製品化し、それを販売するだけでなく、店舗での接客、掃除、ゴミ捨て、会計等全て一人でまかなっている。<br />
つまり、作り手と売り手を一人でこなす希有な存在である。</p>

<p><img alt="DSCF0999.JPG" src="http://blog.sunflare.info/samizu_y/DSCF0999.JPG" width="448" height="336" /></p>

<p></p>

<p></p>

<p>３年前にその爽やかでクリーンな店構えに引きつけられるように初めて入ったブティックの名前は、「By Braaby」。自身のミドルネームをとったものだ。<br />
外観同様、真っ白に塗られた店内には、白いテーブルとソファーがしつらえてある。インテリアで唯一色があるとしたら、観葉植物のアイビーのグリーンとそのアルミ色の鉢である。<br />
その潔いほどにシンプルな空間に、仕立ての良いスーツやシルク、カシミヤといった上質素材のブラウスやセーターが絶妙なバランスでディスプレイされている。色は、黒白の他に、デリケートなグレーやベージュ。たまに紫などの色ものがあるが、全体の割合からすると「差し色」」程度。柄物も少ない。</p>

<p>このお店のオーナーであるBraaby(ブラビー)さんは、笑顔が美しい長身の金髪女性である。<br />
最初はちょっと見るだけのつもりが、彼女の人なつっこい笑顔に引き込まれて、ついおしゃべりが弾んだ；</p>

<p>「この近所でよく買い物をするのですが、こんな素敵なブティックがあるとは知りませんでした。最近オープンされたのですか？」<br />
「ええ。今年の夏に」<br />
「フランスのクリエーターの作品を置いてらっしゃるのですか？」<br />
「私が作ったものです。もっとも、私はデンマーク出身ですけど。」</p>

<p>その華やかで伸び伸びとした外観から、最初は“物作りの人”というイメージが湧かなかった。それもそのはず、彼女はプレタポルテのクリエーターに転身する前は、パリで活躍するファッション・モデルだったのだ。</p>

<p><br />
<img alt="SAC%20V%20BRUNO%20501.jpg" src="http://blog.sunflare.info/samizu_y/SAC%20V%20BRUNO%20501.jpg" width="298" height="448" /><br />
<em><strong>去年、久しぶりにプロのカメラマンから撮ってもらった１枚。さすが、元モデルの貫禄！</strong></em></p>

<p></p>

<p></p>

<p>２１歳の時、デンマークで仕事をしていたフランス人カメラマンに見初められ、モデルとしてスカウトされる。５年間の専属モデル契約を結び、渡仏。それから３０年以上パリで生活している。<br />
契約期間はモデルとして数々のファッション雑誌を飾るも、次第に「服を作る」ことへの関心が目覚める。<br />
モデル業をしながら、服飾学校ESMODEの夜間コースへ通学。卒業時にたまたま作ったプロトタイプがフランスの大手既製服メーカーTed Lapidus（テッド・ラピデュス）の担当者の目にとまり、製品として採用されることになった。それが非常に評判良く、評判が評判をよんで、彼女に自社向けのデザインを依頼するアパレル会社がどんどん増えてきた。固定客が安定して来た頃を見計らい、株式会社を設立。従業員も４人雇った。<br />
この頃の彼女は、個人を相手にする店頭販売ではなく、主にアパレル会社を顧客とする企業販売に専念していた。オールド・イングランド、ジョルジュ・レッシュなど、取引のあるクライアントは大手ばかり。<br />
日本のアパレル会社やデパートとも大いに仕事をした時期もある。彼らのプライベートブランドの一部を手がけていたのだ。<br />
私と日本の話をする度に、目を輝かせて、「以前、日本のデパートとも沢山仕事をしたのよ。SEIBUとか、TAKASHIMAYA とか。」とその頃を懐かしむ。</p>

<p>ところが、彼女もここ１０年の間にじわじわ訪れたアパレル業界の不況のあおりを受けることになる。<br />
今まで、大量取引のあった大手取引先の支払が滞ってきたのだ。<br />
取引額が大きいが故に、支払われなかった場合の打撃は大きい。また、売上も不景気が続くにつれ下降していく。取引先自体が倒産や営業閉鎖などでどんどん減っていくからだ。いよいよ事態が深刻になって来た時、彼女は事業を大幅に縮小することを決意した。<br />
大手業者との取引はやめ、事務所を兼ねた路面店を設け、主に個人消費者、専門店を相手にする方向に転換した。４人の従業員も断腸の思いで解雇した。</p>

<p>その路面店が、この「By Braaby」というブティックである。<br />
「一番大事なことは継続していくこと。それには日々確実に現金が入ってくることがとても大事なことなのよ」と彼女は静かに語る。<br />
路面店で顧客がセーターを１枚買う場合、確かにその金額はその時点で確実に入金される。<br />
個人を相手にした場合、一度に何百万円という取引は出来ないけれど、キャッシュ・インという点では長い支払サイトで取引する業者相手より、はるかに確実なのである。</p>

<p>金銭面だけではなく、この路面店展開には彼女のデザイナー人生に一つの契機をもたらした。自分の名前を掲げる“自分自身のブランド”を世に出すことが出来たのだ。<br />
今までは、自らのブランド・製品ラインを持つデパートやアパレル業者の要望に従って服作りをしてきた（製品はもちろん顧客の付けるブランド名で売られる）。<br />
しかし、今は自分のイメージする客層に向けて自分の作りたいものを作り、それを世に発信することができる。クリエーターとしての原点に戻ることができたのだ。</p>

<p>そんな彼女が頑なに貫く服作りのコンセプトは、「素材のクオリティー、エレガンス、シンプリシティ」である。<br />
それが嘘でないことは、一度彼女の服に袖を通してみれば分かる。<br />
彼女が東奔西走して選び抜いたこだわりの生地を最大限に生かすべく、デザインは至ってシンプルである。そのくせカットは計算尽くされていて、びっくりするほど着心地がよい。それになんといってもエレガントである。着たとたんに自分の「格」が一回りも二回りも上がったような気がする。<br />
そして、既製服といえども、あくまでもその服が着る人にパーフェクトにフィットするように、「お直し」の手間を惜しまない。例えば、試着してみて少しでも袖に余計なたるみがあれば、直ぐにピンを打つ。その微妙なピン打ちを施された服が、リフォーム店に回され、数日後自分の身体にぴったりあった服となって手元に渡される。このリフォーム代は請求されない。<br />
彼女が単なる販売員ではなく、その洋服の「作り手」その人だからこそ、このような完璧主義を貫くことが可能なのだろう。</p>

<p><br />
<img alt="DSC00974.JPG" src="http://blog.sunflare.info/samizu_y/DSC00974.JPG" width="448" height="336" /><br />
<em><strong>Braabyの顧客であり友人である女性達が集まるカクテルで。</strong></em></p>

<p><br />
Braabyの作る服、彼女のブティックは全てその人柄を反映しているし、それに共感する女性客からは絶対的な信頼を寄せられている。<br />
商店街の喧噪から離れたパリ１６区の閑静な住宅街にこの店をオープンするとき、訪れる女性客に「友達の家に遊びに来たような」雰囲気を持つ店にするのが夢だったという。<br />
そしてオープンから３年後、そんな「友達の家」はいつもそこで顔を合わせる常連さん同士の交流の場になりつつある。<br />
Braaby のファンであり、友人でもある彼女達の顔ぶれは幅広い。医師、女優、銀行員、インテリアデザイナー、セレクトショップ経営者、建築家、報道担当者等々、色々な分野で活躍する女性達が２ヶ月に一度の割合で開催されるカクテル・パーティーに集まる。<br />
パーティーの趣旨は新作発表であることが多いが、そこでは和気あいあいとお洒落談義から始まって、異業種間の情報交換の場にもなっている。<br />
初対面同士でもこの場に来れば直ぐに打ち解け、旧知の間柄のように親しくなるのは、そこに集まる全ての人を知っているBraabyが、コネクターとしての役割を上手に演じているからである。<br />
彼女のブティックの売上は、基本的にこういった常連達に支えられている。<br />
昨今の世界的不況の中、プレタポルテの世界で事業を続けていくのは決して容易ではないが、彼女が自分の信念に従って「いい物」を作り続けて行く限り、その人柄と作品を愛する女性達は決して彼女のもとを離れないだろう。</p>

<p>「人柄」と書いたが、彼女は別に偉大な人格者だから愛されるのではない。むしろその子供のような純粋さと素直さが人を惹きつけるのだと思う。見栄を張ったり、自分を良く見せたりするようなことは一切ない。仕事が上手く行かなかった時や自信を持って勧めた服が顧客の支持を得なかった時は本当に悲しい顔をする。一方で、気に入ってもらったり褒められたりすると、はにかみつつも誇らしい気持ちで一杯の笑顔を浮かべる。<br />
この笑顔を見ると、やはりこの人は「物作りの人」だ、とつくづく思うのである。</p>

<p>もう一点その人柄について付け加えるとすれば、生活感やしがらみというものを感じさせない飄々とした潔さである。<br />
それは異国に一人で生きるという、彼女のライフスタイルにも関係するのかもしれない。<br />
一人っ子で兄姉はなく、母国の両親は早く他界してしまったため、２１歳の時にパリに来て以来、殆どデンマークに帰ることなく仕事に打ち込んできた。<br />
その間長く続いたロマンスもあったが、決して結婚も子供を持つことも考えなかった。<br />
自分にとって、またその天職にとって「自立と自由」は呼吸をすることと同じくらい自然で不可欠なことだから、という。</p>

<p>仕事でも私生活でも自立を貫く、そんな彼女が同じように大事にしているものは「友情」である。<br />
家族にも結婚にも頼らず一人で生きてきたからこそ、友達の存在の有り難さやお互い支え合うことの大切さを知っているのだろう。<br />
客層の顔ぶれから推測されるように、Braabyの交友範囲はとても広いし、お互い何か問題があったら、直ぐに駆けつける間柄である。</p>

<p><br />
<img alt="DSCF0991.JPG" src="http://blog.sunflare.info/samizu_y/DSCF0991.JPG" width="448" height="336" /><br />
<em><strong>仕事場でもいつも一緒の愛犬タイス。ブティックの入り口にいることが多いので、ドアを開けられなくて困る時も？？？</strong></em></p>

<p><br />
今年５４歳になったBraabyは、そういった友人達と愛犬タイス（仕事場でもいつも一緒）に励まされつつ、確実に自らの道を歩み続ける。<br />
３年前に取引先を大手から個人へと転換してから、ヨーロッパ以外にもアメリカ、ドバイと少しずつ固定客を獲得し始めている。<br />
長引く不況の問題もあるが、これからはチャンスを掴んでもう一度日本とも仕事をしたいとも思っている。<br />
「今度は私自身のブランド“By Braaby”で！」<br />
そう語る彼女の目には自分がデザインした服をまとい、生き生きと街を闊歩し仕事に打ち込む日本女性のイメージが既に浮かんでいる。</p>

<p><br />
食べ物でも衣服でも、共感を覚える「作り手」の存在とメッセージを感じるものに出会い、それを生活に取り入れることは人生を豊かにしてくれる。<br />
彼女が作った服に惚れ込み、それを手にする境遇に恵まれた女性達は、この快適且つ「女を上げる服」に身を包み、それぞれのシーンで活躍するのだろう。</p>

<p><img alt="DSCF0988.JPG" src="http://blog.sunflare.info/samizu_y/DSCF0988.JPG" width="336" height="448" /><br />
</p>]]>

</content>
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<title>ヨーロッパの翻訳者　～　アゼルバイジャンのコスモポリタン</title>
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<modified>2009-08-31T10:00:28Z</modified>
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<email>samizu_y@sunflare.co.jp</email>
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<![CDATA[<p><img alt="1.jpg" src="http://blog.sunflare.info/samizu_y/1.jpg" width="336" height="448" /></p>

<p><br />
職業柄、色々な国の翻訳者と仕事をするが、中でもこういう仕事についていなければ絶対に知り合うことも親しくなることも無いだろう、という人と出会うことがある。</p>

<p>例えば、アゼルバイジャンの人。<br />
「私はアゼルバイジャン人よ」とさらっと言われても、「へー、そうなんですか」と儀礼的にとりあえずの返答をした後、次の言葉が浮かばない。<br />
もちろん、国名は知っている。でも地図でいうとどこらへんだっけ？全く根拠のない個人的イメージでは、中近東とか、もうちょっと東の中央アジアのあたりのような気がする。恥ずかしながら、この国の人がどのような身体的特徴があって、どのような生活習慣を持ち、どのような国政のもとで生きているのか皆目検討がつかなかった。<br />
　</p>

<p>最近、現地の翻訳業界団体の会合で知り合ったアゼルバイジャン人通訳・翻訳者、グリア・ラマザノバ（Gulia Ramazanova）さん。<br />
このエキゾチックな顔立ちの若い女性は、私のような外国人の反応に慣れているのだろう。<br />
当惑気味の私の表情を察したとたん、手帳についている携帯世界地図を出して、ロシア、グルジア、アルメニアに隣接する小さな国をシャープペンの先で指し示してくれた。<br />
「ここ。凄く小さいけれど、海（カスピ海）もあるのよ。」</p>

<p>具体的に地図で見せられると、ああ、ここかという実感がわいてくる。<br />
手帳についている小型地図では首都名もはみ出してしまうくらい小さな国土面積。大きさの面では対照的なロシアとイランに南北で挟まれ、飛び地としてアルメニアに囲まれているという地理的環境。歴史的に民族間の紛争や独立運動が絶えなかったのは至極当然のことかもしれない。<br />
しかし、複雑な政治状況を伴わざるをえない地理条件も、見方を変えればそれが言語的多様性という文化的な豊かさにつながることもある。<br />
彼女も島国出身の私から見れば、その恩恵を受けて逞しく育った優秀な若手翻訳者の一人である。</p>

<p><br />
40代以上の参加者が多い会合で、一人だけ若々しい学生のような風貌をしたお嬢さんがいた。たまたま席が近かったので、お互いどちらからともなく、自然に話しをするようになったが、未だあどけなさが残る外見とは裏腹に、その知的で淡々とした話し方に引きつけられた。年齢をきけば未だ28歳だという。しかし、質問の仕方、或いは質問への答え方で、彼女の知的水準と実年齢以上の精神的成熟度を感じた。<br />
２年前にパリで翻訳事務所を設立し、友人と共同経営しているというグリア。<br />
彼女とならきっと安心して仕事が出来るだろう、と直感的に思うと同時に、私にとって全く未知の国の人、アゼルバイジャン人である彼女がいかにしてパリでプロ翻訳者・通訳者として身を立てるに至ったのか知りたくなった。</p>

<p><br />
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　＊　＊　＊</p>

<p><br />
グリアはアゼルバイジャンの首都バクーで、小児科医の母親と金属工学専攻の大学教授である父親との三女として生まれた。<br />
当時、映画や日本製のテレビゲーム等の娯楽物は殆どロシア語なので、彼女も他の子の例に漏れず、物心つく頃にはロシア語とアゼルバイジャン語のバイリンガルになっていた。</p>

<p>４歳の頃、父親の仕事の関係でチュニジアに２年間滞在する。その後一端帰国するも、６年後に再び家族でこの国の地を踏むことになる。今回は10年をめどにした長期滞在である。<br />
チュニジアは1956年に独立する前はフランスの保護領となっていたため、公用語のアラビア語の他、フランス語も広く普及している。が、両親の方針で、グリアは現地のフランス語校に入学し、リセ（高校）までフランス語環境で過ごした。<br />
スポンジのように吸収の早い幼少期をフランス語で生活したのである。フランス語を母国語のように話すようになるには時間はかからなかった。<br />
同時にアラビア語についても、日常生活に困らない程度に身につけた。</p>

<p>バカロレアに合格した頃、父親の仕事の任期が終了し、家族でアゼルバイジャンに帰国することになった。しかしまだ学生だった末っ子のグリアについては、そのままフランス語で学業を続け学位をとった方がいいということで、彼女だけチュニジアに残り現地のフランス系大学に入学する。そこでフランス文学を専攻。修士課程まで在籍し、最後には成績最優秀者として表象された。</p>

<p><br />
さて、既に母国語とロシア語の他フランス語も完璧にマスターし、大学で交付された成績最優秀者の表彰状と学位を持って悠々と両親の住む母国に戻ってきたグリアだが、その時既に彼女の心の中で次の目標は固く決まっていた。1年後には絶対に本場フランスの大学に留学し、博士課程に進むと。<br />
いくらフランス系のチュニジアの大学でフランス文学を修めようと、チュニジアはチュニジアであってフランスではない。少なくともフランス人はそう見る。将来はフランスで身を立てることを決意していたグリアは、フランスで知識層と認められ、知識層としての仕事に就く為には、この国でそれなりの学位をとることが最低限の条件であることを知っていた。<br />
青春時代をフランス語とフランス文学に注ぎ、フランス語の奥深さや美しさに魅了されたグリアは、自分の将来はこの国で開花させようと早くから決意していた。そしてパリ大学で博士過程を修了すること、これは彼女の学業の最後の仕上げとして不可欠な条件であるとともに、今後のフランスでの職業人生を決する重要な切り札でもあったのだ。</p>

<p>ところで、チュニジアから直接パリ大学に進まず、一端バクーに戻って来たのは、なんといっても生活費の高いパリ生活の資金繰りをするためだった。<br />
１年間留学の準備をしながら、少しでも留学生活の足しになるように働き口を探す予定だった。既に完璧なフランス語と、チュニジアの大学での成績最優秀者としての表彰状が認められ、フランス大使館が主催するフランス語講座の講師及び会議通訳者のポストに採用された。仕事内容が彼女にぴったりなのは言うまでもないが、なんといってもそこで年に一度、能力のある現地職員に与えられるフランス留学奨学金制度が魅力的だった。<br />
当然グリアは、奨学金を目指して全エネルギーを仕事に注ぎ込んだ。しかしそのことがかえって裏目に出てしまう。グリアの通訳としての優秀さを大いに買っていた担当領事が自分の任期中は彼女を手放したくないが為に、奨学金の申請を次年度に後らせてしまったのである。<br />
幸い、その領事の転勤が早めに訪れ、翌年には新任の領事の申請により直ぐに念願の奨学金を受け取ることが出来た。　　　　　　　　　　　　　</p>

<p><br />
予定より１年遅れたものの、晴れて奨学金を手にしたグリアは、大手を振ってパリへ発つ。<br />
その時24歳。が、生まれてから24年間、既に母国語のアゼリー語の他に、ロシア語、フランス語、アラビア語、英語という複数言語をその時その時の巡り合わせで自然に身につけてきた。そんな彼女が今、自分の将来を考える時期になって意識し始めたテーマは「言語」と「コミュニケーション」だった。<br />
そこでパリ大学博士課程では研究分野として言語論理学を選択。2年後には無事に念願の博士課程修了証書を取得する。</p>

<p><br />
このパリでの学生期間は、チュニジア時代同様、公私ともに実り多いものだったようだ。<br />
まず、大学のカリキュラムの一貫で、夏の３ヶ月間、どこか海外に行きその国の言葉を習得してくるという語学研修システムがあるが、彼女は母国の近隣、トルコのイスタンブールを研修先に選び、そこでトルコ語を集中的に勉強している。トルコ語は母国でロシア語ほど普及していないが、幼い頃から決して遠い言語ではなかった。現在大人になって、今まで「一方言として捉えていたトルコ語」を、改めて一つの言語として理論面から裏付け、習得しておきたかったのだ。そして、更にいえば、母国語のアゼリー語に近似するトルコ語を学ぶことは、母国語を別の視点で考えること、つまり母国語の理解を深めることになる。いずれにせよ、その構造を把握している外国語が一つでも増えるということが、彼女の言語研究を豊かにすることに違いはない。</p>

<p>そして、プライベートでは、この時期にパリで将来の夫となるべき男性と出会っている。夕食に招待してくれたパリの知人宅で、チュニジア時代高校のクラスメートだったセリムと偶然の再会をするのである。その時彼もグリア同様、南フランスの大学で博士課程に在籍し専攻の生物学の論文を書いていたところだった。<br />
同じ博士課程在籍中ということと、二人ともたまたまそれぞれの恋人と別れたばかりという境遇が重なって、直ぐに意気投合。まもなく将来を誓う婚約者となった。</p>

<p><br />
　　　　　　　　　　　　　　＊　＊　＊</p>

<p><br />
学生生活を終了し、「働く」ことを考える段階になっても、今まで自分の人生に付いて離れることの無かった「言語」「コミュニケーション」というテーマを職業として据えることに迷いはなかった。<br />
トルコ語も習得した彼女は、卒業後は、多言語翻訳者・通訳者として多国籍の移民・難民問題を管轄する政府機関に採用される。そこで、膨大な数の行政資料、裁判資料等を翻訳するほか、様々な移民・難民関連の法廷通訳をこなした。ちなみに彼女がそこで対応した言語は、アゼリー語、ロシア語、フランス語、トルコ語、英語の5ヶ国語である。</p>

<p>現在は、更に自分の活動分野を発展させるべく、自らの事務所を構え、当局から来る移民・難民関連の案件に加えて、母国アゼルバイジャンに関する国際石油ビジネスのドキュメント翻訳や同行通訳を始めた。そう、アゼルバイジャンは豊富な油田を持つ、天然資源豊かな国なのである。欧米企業出資の石油事業も多く、彼女がコミュニケーションの橋渡しとして活躍できる場として期待できそうだ。</p>

<p>事務所の経営も軌道にのり、数年間交際していたセリムと最近めでたく結婚式を挙げたグリアの生活は、現在公私ともに順調である。<br />
幼い時から自分の好きなこと、やりたい事を常に明確に意識し、それに向かって真っ直ぐに歩んできた28歳のコスモポリタンは、今、その恵まれた語学力をフル活用し、多国籍間コミュニケーションの架け橋としての役割に全力を注ぎ込んでいる。</p>

<p><br />
<img alt="_MG_4742.jpg" src="http://blog.sunflare.info/samizu_y/_MG_4742.jpg" width="299" height="448" /><br />
<em><strong>グリアの母国、アゼルバイジャンの首都バクーで挙げた結婚式での一枚。</strong></em></p>]]>

</content>
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<title>ヨーロッパの翻訳者が集う夜</title>
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<modified>2009-03-03T22:44:19Z</modified>
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<summary type="text/plain"> 「今度の会合は“ポーランド”でいくから是非参加してね！」 いつも医療分野の翻訳...</summary>
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<![CDATA[<p><img alt="DSCF0700.JPG" src="http://blog.sunflare.info/samizu_y/DSCF0700.JPG" width="448" height="336" /></p>

<p><br />
「今度の会合は“ポーランド”でいくから是非参加してね！」</p>

<p>いつも医療分野の翻訳でお世話になっているポーランド語翻訳者エリジビエータから連絡が入った。<br />
その規模と組織力の強さで有名なフランスの産業翻訳者協会では、分野別に専門家を招いて会員翻訳者の為に数日間にわたる大型研修を企画したり、翻訳者間の情報交換と協会の活動内容の報告を兼ねて定期的に総会や懇親会を開いたりと、翻訳業界の質と地位向上、そして同業者の団結の為に精力的な活動が行われている。</p>

<p>今回のエリジビエータからの誘いは、協会会長の交代の発表を兼ねた定期会合に、私もゲストとして参加してみないか、というものであった。　</p>

<p>ヨーロッパ中のプロ翻訳者が集まる会合に参加出来るのは、人材開発を本職とする私にとっては願ってもいないチャンスである。<br />
いつもメールや電話だけで仕事をしている翻訳者達と実際に顔を合わせるよい機会だし、新しい人脈を作る上でも理想的な場である。もちろん二つ返事でOKした。</p>

<p><br />
フランス翻訳者協会の会員であるエリジビエータは、今回会員翻訳者達の定例会合の為に自分から手を挙げて「ポーランドの夜」という食事会を企画したのであった。<br />
愛国心あふれる彼女は、自国ポーランド料理を同僚に知ってもらおうと、３ヶ月前からレストランを探し、メニューを決め、手作りの料理解説パンフレットを作り…と、それは準備に余念はなかった。</p>

<p>選ばれたレストランは、“LA CRYPTE POLSKA （http://www.crypte-polska.com/）”。直訳すると、「ポーランドの地下礼拝堂」。パリでも高級ブティックの建ち並ぶサントノレ通りにポーランドのカトリック教会がさりげなく佇んでいるのだが、そこの地下礼拝堂を改装してお国料理のレストランにしたという。</p>

<p>教会の地下礼拝堂を改装したというだけあって、石作りの質素な作り。雰囲気たっぷりである。<br />
そこに今回約50名の会員翻訳者が集まった。企画の趣旨が影響してか、参加翻訳者は東欧関係の人が多かったようだ。ポーランド語はもちろん、ロシア語、チェコ語、ハンガリー語、ルーマニア語からアゼルバイジャン語まで、東欧言語の多様性に改めて驚かされた。</p>

<p><br />
さて、レストランに着くと、受付で胸に貼る名札シールをもらい、各自が長テーブルの好きなところに座る。ちなみに私の席位置は、左にハンガリー語翻訳者、右にいつも一緒に仕事をしているブラジル・ポルトガル語翻訳者、テーブルの向かいにはアゼルバイジャン語とロシア語を母国語とするバイリンガルの若い女性翻訳者、という配置であった。<br />
そして、ここにいる翻訳者は全てネイティブ。主に留学をきっかけにフランスに移住し、学業を修めた後ここをプロ活動の場として選んだ人達だ。</p>

<p>一人も同じ国籍がいないという環境だが、フランス語という共通語があるおかげで皆直ぐうち解けて話しが始まった。<br />
仕事の話から、お互いの国の事情や習慣までと、話は尽きない。そして、その場で唯一のアジア人であり日本人である私に色々な質問が向けられたのだが、その中でこんな質問があった；<br />
「日本の会社って、Amélie NothombのStupeur et tremblement　（邦訳『畏れ慄いて』著者：アメリー・ノートン）に書かれているとおりなの？」<br />
ああ、またこの質問。フランスに来て何度受けたことか。</p>

<p>この本、1990年代初頭、語学力を買われて日本の商社（小説の中ではユミモト商事とある）に就職したベルギー人OLが、会社の上司や先輩から受ける様々な虐めや理不尽な会社のしきたりに耐えつつ果敢に試練を乗り越えていく、という内容の自伝的小説である。1999年にフランスで出版されて50万部の売上げを記録し、映画化もされている。<br />
10年経った今でも本屋で「お勧め本コーナー」に堂々と陳列してあるところを見ると、まだまだ人気は健在と見える。<br />
というのも、この本が出版されて以来、フランス人の間では「日本を知るならこの本を読め」という一種の不文律が出来上がってしまっているからだ。<br />
日本のことが話題になると、この本を引用して自分こそが日本の真の姿を知っているように仲間内で話しているフランス人を何人も見てきた。<br />
この本に書いてある内容が欧米人に「日本の会社社会の真実の姿」と考えられていると思うと、日本人として非常に不愉快なのだが、内容的にあながち本質を捉えていないとも言えないので、完全に否定するのもなかなか苦しい。</p>

<p>したがってこの手の質問を受けた時は、「小説の舞台となった1990年代初頭の日本企業では、小説に書かれているほどオーバーでは無いけれど、そういう風潮があったのは確か。でも今はあれから20年も経っていて、日本の会社もかなり変わってきていますよ」<br />
と答えるようにしている。<br />
それにしても小説の中で描写されている１コマ、新人女性社員が朝、上司や先輩社員にお茶を入れて配るというシーンは、良い悪いという問題とは別に、欧州人にとってはとても興味深いことらしい。</p>

<p></p>

<p><img alt="DSCF0698.JPG" src="http://blog.sunflare.info/samizu_y/DSCF0698.JPG" width="448" height="336" /></p>

<p><em><strong>エリジビエータ（写真左）。</strong></em></p>

<p><br />
さて、最後に会合の企画者であるエリジビエータについて少々；<br />
エリジビエータは、医療分野を専門とする同時通訳・翻訳者であると同時に、フランスの複数の大学で教鞭もとるという、とてもアクティブなポーランド人女性である。とにかく好奇心旺盛で、よく喋りよく動く。</p>

<p>実はパリで仲良くしているポーランド人の友達の影響で、私はちょっとしたポーランド通である。<br />
彼女が自国へのお里帰りから返ってくる度に、お国料理に欠かせない固形スープの素や、ウォッカ、ハーブティー、即席デザートパックなどをお裾分けしてくれるので、この国に対しては結構親しみを持っていた。</p>

<p>最初にエリジビエータと仕事をした時、自分のポーランド贔屓をアピールする意味で、ポーランド人しか絶対に知らないであろう食品名を挙げて「これ、愛用しています。」とメールの追伸で一言書いたところ、10分後に今度は日本の固有名詞がダーッと並んだ熱烈なメールが返って来た。<br />
彼女がお返しに自分の日本好きをアピールしてきたのである。<br />
なんでも、彼女の親友はパリで知り合い今は北海道に帰っているミチコという日本人だということ、寺尾聰と坂本龍一の音楽が大好きだということ。パリで評判の日本人パティシエ、アオキ・サダハルの抹茶ケーキはもう食べたか？等々…<br />
お互いリップ・サービスと分かっていても、こういうことでグッと相手との距離が縮むものである。</p>

<p>そういう些細なことが作用してか、彼女との仕事は最初からとてもスムーズである。また、会員でないと入り込みにくいこういった会合にも誘ってくれる等、翻訳の仕事以外でも多岐にわたり協力してもらっている。<br />
そして今回、なによりも有難いのは、会合の場で私の手を引いてテーブルを回りながら「私がよく一緒に仕事をしている日本の翻訳会社のサンフレア、とても信頼のおけるいい会社なのよ」と宣伝して回ってくれたことだ。<br />
自分の会社について私自身が宣伝するのと、一緒に仕事をしてくれている翻訳者がアピールしてくれるのでは信憑度が異なるのは明らかである。</p>

<p>ちなみに、彼女も例の小説『畏れ慄いて』に触れたが、「あんな（日本に対して）侮辱的な小説、読んでいて耐えられなくなかったから途中でやめたわ。売れることを目的にして好き勝手にでっち上げているだけ。」と、言い放っていた。<br />
日本人である私に対する気遣いからこのような発言が出たのかもしれない。ただ、この小説では作者の日本に対する敬意や思い入れも同時に感じられるのも確かだ。</p>

<p>1990年という作品の時代背景からもう20年近く経っていて、今の日本はあの作品で描かれている様子と全く異なっているだろうし、日本人が今読めば、本の内容自体かなり時代遅れに感じられるだろう。<br />
しかし、フランスという異国では、2009年現在でもあの小説に描かれている日本企業が日本という国の一番近いイメージと捉えられているのである。<br />
　　　　　<br />
翻訳者達の交流を目的とした今回の会合。思わぬことに、私の周りのテーブルでは、この『畏れ慄いて』を巡っての“日本人論”が一番活発であった。そして折りしもそのテーブルには、あの『畏れ慄いて』の国の一会社員が座っているのである！　皆さん、それは聞きたいことが沢山あるでしょう。</p>

<p><br />
</p>]]>

</content>
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<title>ヨーロッパの翻訳者　～　ポルトガル語翻訳者アナさん</title>
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<modified>2008-12-08T11:07:18Z</modified>
<issued>2008-12-04T12:13:10Z</issued>
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<created>2008-12-04T12:13:10Z</created>
<summary type="text/plain"> パリとトゥール。お互いに物理的な距離があるため、いつも電話とメールでやりとりし...</summary>
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<name>samizu_y</name>

<email>samizu_y@sunflare.co.jp</email>
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<![CDATA[<p><img alt="Ana.JPG" src="http://blog.sunflare.info/samizu_y/Ana.JPG" width="480" height="360" /></p>

<p><br />
パリとトゥール。お互いに物理的な距離があるため、いつも電話とメールでやりとりしていたポルトガル語翻訳者、アナ・カレ（Ana Carre）さん。<br />
実際はどんな人なのだろう？　低くて掠れた重厚な声、それでいて早口でアナウンサーのようにハッキリとした発音、いつも隙のないメールの文面から、神経質なヘビースモーカー、眉間にしわが刻まれた骨張った顔立ち、髪は短めの金髪－、そんな女性を想像していた。</p>

<p>その彼女がプロ翻訳者を対象としたカンファレンスに参加するために４日間の滞在予定でパリにやってくるという。早速コンタクトをとって、初めての対面を実現することとなった。<br />
待ち合わせの場所はパリ7区にあるデパート、「ボン・マルシェ」。早めに着いて１Ｆの香水売り場の中央にしつらえられたソファーに座っていた彼女は、後から現れた私の顔を見るなり「ヨーコ?　アナよ。」と迷いもなく声をかけきてくれた。<br />
－　そうそう、この声。この“やや威圧感のある声”の主と何度電話で打合せをしたことか・・・。<br />
しかし実際の彼女は決して威圧的ではなかった。<br />
小柄で丸顔。黒髪のショートカット。血色のいい瑞々しい肌、愛情深い輝きのある瞳からは気難しさなどは微塵も感じられない。屈託の無いとても気さくな女性であった。</p>

<p>初対面の挨拶もそこそこに、落ち着いて話しを始めるべく、我々は２階の喫茶店に移動した。<br />
「日本人をクライアントとして仕事をしたのは、サンフレアとが初めてだけど、とても充実した仕事をさせていただいているわ。」と、一言おいた上で、現在翻訳者になるまでの経緯を語ってくれた；</p>

<p><br />
<strong><em>＜恵まれた家庭環境＞</em></strong></p>

<p>ポルトガルの首都リスボンで、外交官の家庭に生まれる。両親はポルトガル人。<br />
父親の仕事の関係で、フランス、ベルギー、ブラジル、スペインと様々な国で青年期を過ごすが、どの国でどの言語を使って生活しようと、哲学博士号を持つ両親からは、毎日欠かさず厳格なポルトガル語教育を受けたという。<br />
父親のフランス赴任をきっかけに、３歳から本格的にフランス語を学び始める。<br />
その後他の国を転々としながら多彩で豊かな言語教育を受けるも、最終的にはフランスの大学でバイオ科学の博士号をとり、“納得がいかないながらも”トゥール大学で15年間教鞭をとる。<br />
こんな文句のつけようのない経歴に「納得がいかない」とはどういうことか。</p>

<p>「確かに大学でバイオ化学を教えるということは、それまで自分が歩んできた道を考えると自然だし、やり甲斐も無くはないと思う。ただ私にとってこの職業の致命的な点は、自分のバックグラウンドである「言語的環境の豊かさ」が全く生かせないということ。外交官の家庭に生まれ、青年期を複数の国で過ごし、ポルトガル語、フランス語、英語、スペイン語を自由に操れるということ、そういった自分ならではの貴重な経験と能力を生かせる環境がないか、大学で教えながらいつも考えていたわ」と彼女は説明する。</p>

<p>では何故、直接翻訳者や通訳者の道を選ばずに、教員の道を選んだのだろうか？<br />
それは、ひとえにこの職業が子育てをする上でとても都合がよかったからだという。<br />
前回でもテーマとして取り上げたように、フランスは基本的に共働き社会である。<br />
出産後３ヶ月、遅くても６ヶ月後には女性は職場に復帰し、子育ては保育園やナニーに任せるのが普通である。<br />
しかしそんなフランス社会にいながら、彼女は他人に育児を丸投げにすることはどうしても出来なかった。自分の目の届くところで自分の手で子育てをしたかったという。<br />
その点、大学での仕事は朝から晩まで毎日職場に拘束されることはない。講義に出るために大学に出勤する以外は、基本的に自宅で仕事ができる。また、教育機関なので２ヶ月間の夏休み等、長期休暇のスケジュールも子供達の学校とほぼ一緒である。</p>

<p><br />
<em><strong>＜本当にやりたいこと＞</strong></em></p>

<p>しかし、子育てと両立する道として選んだ教員生活時代は、いつも自分の語学力を生かせないことに焦燥感を抱いていたという。<br />
そこで、三人の子供の内、一番下の男の子が高校に入った時点で、大学を辞職。<br />
ポルトガル語、英語、フランス語、スペイン語の多言語通訳・翻訳者になるべく、その厳しさで有名なパリの大学の通訳・翻訳学部を受験。見事に合格し、若い学生に混じって同時通訳コースを専攻した。</p>

<p>ポルトガル語とフランス語に関しては完全なバイリンガルであるだけでなく、既にバイオ化学という専門分野を持つ彼女には、学校を卒業して職業登録すると直ぐに大きな仕事が舞い込んできた。<br />
やっと自分の言語的環境・能力が活かせる仕事ができる。好奇心と探究心旺盛な彼女は、今までの教員生活では実現できなかった色々な業界の人との出会い、コミュニケーションを期待して、最初は通訳業に専念した。</p>

<p>しかし、実際の「通訳」特に「同時通訳」という仕事は、彼女が期待していたものと異なっていた。<br />
「私には特に「会議（同時）通訳」の仕事ばかりがきたけれど、実際にやってみて、この仕事ほど人との出会いやコミュニケーションが少ないものは無いと知ったわ。狭いブースに篭って数人の通訳と15分交代でヘッドフォンから聞こえてくる声を機械的に別の言葉に置き換えるのだけれど、それは孤独でストレスの多い仕事なのよ。クライアントとさえ直に話をする機会は殆どない。」と、彼女はやや目を伏せてその頃を回想した。</p>

<p>この孤独とストレスは突き詰めて考えると「虚しさ」「物足りなさ」なのかもしれない。<br />
「同時」通訳なので、いちいち調べたり見直したりすることは出来ず、反射的に訳語を発しなければならないが、研究者生活の長い彼女は、この機械的作業、つまり物事を深く突き詰め、練り上げていくという要素が全く無い作業に、どうしてもフラストレーションを感じてしまう。</p>

<p>そこで主な活動を通訳から翻訳に切り替える。孤独とストレスという点では翻訳も似た点があるが、少なくともひたすら耳に入ってきた言葉を反射的（というか機械的）に置き換える同時通訳と異なり、翻訳は自分で作業スケジュールを組み立て、納得のいくまで調べ、訳文を練りあげることができる。その全過程において通訳では感じられなかった充実感があるという。</p>

<p>つまり翻訳は、幼少からの「言語的環境の豊かさ」と「研究者」というアカデミックなバックグラウンドが見事に活かされる職業なのだ。<br />
紆余曲折の末、やっと天職にたどり着き、現在、彼女は翻訳を専業としている。<br />
英語、ポルトガル語、フランス語、スペイン語を対応ソース言語とし、ポルトガル語とフランス語をターゲット言語とする。<br />
元々の専門は、バイオ化学関係、薬学、特許であるが、対応分野を更に広げるため、様々な分野の研修、コンフェランスに積極的に参加し、勉強に余念がない。</p>

<p>「幸運にも、私の家族には、医者や弁護士、理系分野の研究者がたくさんいるの。調べ物には事欠かないわ。」<br />
話を聞けば聞くほど彼女は翻訳者になるために生まれてきた？といいたくなるほど恵まれた環境にある。<br />
子供達も優秀で、長女は最近弁護士資格を取得。二男はフランスで最も知名度の高いMBA校に合格。もちろん、彼らも重要な調査要員である。</p>

<p><br />
３人の子育ても自分の自己実現、キャリア形成にも決して妥協はしなかった。そして最後には、全てが完璧な調和の元に実を結んだことになる。<br />
そんなハッピーな現状に浸る余裕もなく、アナは現在、大型特許翻訳プロジェクトに没頭中である。</p>

<p>対談中、終始印象的だった瞳の輝きは、そんな彼女のバイタリティーと充実感が自然に映し出されたものなのかもしれない。</p>]]>

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<title>ヨーロッパの翻訳者　～　イタリア語翻訳者ラファエラさん（後半）</title>
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<modified>2008-12-02T11:14:52Z</modified>
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<summary type="text/plain"> ＜よく働き、よく遊び、よく学ぶ好奇心旺盛なイタリア人＞ では年柄年中仕事漬けに...</summary>
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<name>samizu_y</name>

<email>samizu_y@sunflare.co.jp</email>
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<![CDATA[<p><img alt="IMG_0660.JPG" src="http://blog.sunflare.info/samizu_y/IMG_0660.JPG" width="336" height="448" /></p>

<p><br />
<em><strong>＜よく働き、よく遊び、よく学ぶ好奇心旺盛なイタリア人＞</strong></em></p>

<p>では年柄年中仕事漬けになっているかというと、そうでもないらしい。<br />
普段は土日と平日の区別なく働いているが、年に最低２回はたっぷりとしたバカンスをとる。<br />
行き先はセイシェル島やタイ、モルディブ、ポルトガル、シチリア島と、太陽と海のあるところであれば、どこでもいい。彼女に仕事を頼もうとして電話を掛けたらどこかのビーチで読書していた、ということがよくあった。それでも仕事はその場で（バカンス先）直ぐにしてくれる。</p>

<p>また、映画鑑賞や読書は単なる楽しみを超えて「商売柄必須」の日課という。<br />
「よくある落とし穴で、外国で翻訳者として長く生活していると、その国の言葉には強くなるけれど、自分の母国語の質が落ちてくる。翻訳者は自分の母国語をターゲットに翻訳をするものだけれど、話していても書いていても自分の母国語がピシッと“きまらなくなる”時が多くなる。そいうことを防ぐために、時間さえあれば母国語（イタリア語）の本をむさぼるように読んでいる。外国語を正しく理解するのは当たり前として、究極的には翻訳者は母国語に対する感度を研ぎ澄ますことが一番大事。」</p>

<p>彼女は明るい。そして何事にも好奇心旺盛だ。<br />
この道を選んだ伏線は6歳の頃にさかのぼる。子供の時から外国語を耳にするのが大好きだった。<br />
ある時、父親が「犬は英語でdog 猫はcat」 のような話をしたときに、同じ事象を自分の国とは全く別の言葉で言い表す文化があることに、そこはかとない興味を抱いたという。それを機に直ぐに子供を対象とした英語学校に通い始めるも、先生と相性が合わなくて１年後にその学校を去る。しかし、将来は外国語を使う仕事に就くという意志は固かった。バカロレアの後、大学は翻訳・通訳学科に入学し、通訳と翻訳における英語とフランス語を極める。その後入学試験の厳しさとスパルタ教育で有名なフランスの翻訳・通訳の名門校に留学。その業界なら誰もが知る権威ある名門校のディプロマが効を奏してか、最初から仕事には事欠かなかった。<br />
「とてもフランス的だけど、まず全てはbon dossier“良い書類”を揃えてから。」<br />
つまり、フランスは厳然とした学歴・書類審査社会。早く確実に出世コースに乗りたいのであれば、人柄、実力以前に、まず知名度のある学校の卒業証書を手に入れるのが有利、という意味である。</p>

<p></p>

<p><br />
<em><strong>＜お洒落で面倒見のいい姉御肌<br />
　　　　　　　　　　　　－窮地を救ってくれたラファエラの魔法のアドレス帳＞</strong></em></p>

<p>ところで、16年のキャリアに裏付けられた自信を物語ってのことか、彼女の履歴書は憎いまでにシンプルで“お洒落”である。<br />
グラフィック・デザイナーにデザインさせたアーティスティックな「自分のロゴ」をヘッダーに、言わずもがなの最終学歴と対応言語、誰もが一度は聞いたことのある主要クライアント名、そして今まで手がけてきた翻訳分野だけが絶妙な配置で書いてある。<br />
これは不真面目さからでも嫌みからでもない。彼女が自分自信を商品と見なし、独自の美意識で自己紹介しているのである。</p>

<p>最初の仕事に対する支払いがつつがなく行われると、彼女も安心したせいか、サンフレアからの仕事は二つ返事で引き受けてくれるようになった。<br />
実は、万事順風満帆に進んできたと思わせる彼女の翻訳家人生にも１つの苦い思い出がある。まだプロとしてデビューしたての頃、アメリカの翻訳会社の駐仏コーディネーターから連絡があり、4000ドルに相当する仕事を引き受けた。このコーディネーターはとても誠実で納品までは全てスムーズに事が進んだが、いざ請求書を出したら何の返事もない。彼が事務所としている所も蛻の殻。アメリカ大使館に調査してもらったところ、発注した会社は倒産して、翻訳者としては泣き寝入りするしかない、と言われた。この事がトラウマになって、フランス、少なくともEU圏に本社のない会社とは取引をしないようにしたという。</p>

<p>ラファエラは、翻訳をきっちりこなしてくれるのはもちろん、欧州言語のプロとして我々に貴重なアドバイスをしてくれることが多い。<br />
また、多言語の翻訳者の開発が思うように進まず困っていると、業界で顔の広い彼女は「魔法のアドレス帳（彼女がいつもそう呼んでいる）」を取り出し、自分の同僚を惜しげもなく紹介してくれる。　　　　　　　　　　　　　　</p>

<p>現在、ラファエラとは年齢も近いせいか公私に渡り親しくしているが、彼女に会う度にアドレナリンが上昇し「さあ、仕事頑張ろう」という気になる。</p>

<p>最後に会ったとき、こんなことを言っていた；<br />
「サンフレアと仕事をするのはとても面白い。日本のコーディネーターとのやりとり、日本から送られてきた英文の原稿、全てがヨーロッパ人のやり方とは違うのよ！これって、いいとか悪いとかの問題じゃなくて、“日本の文化”よね？　私はサンフレアとの仕事を通してそういう今まで縁の無かった“日本の文化”の一部に触れているの。それってラッキーだと思わない？　だからこの仕事はやめられない。」</p>

<p>6歳の頃から外国語に興味を持っていた彼女。自分に時間的余裕さえあれば欧米言語以外の言語（日本語、アラビア語、中国語など）も真剣に勉強してみたいという。</p>

<p>「でも残念ながらそれは老後の楽しみになるかな。今から日本語でも稼げるようになるにはちょっと年をとり過ぎたわ。」</p>]]>

</content>
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<title>ヨーロッパの翻訳者　～　イタリア語翻訳者ラファエラさん（前半）</title>
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<modified>2008-12-02T11:14:52Z</modified>
<issued>2008-10-14T20:29:12Z</issued>
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<summary type="text/plain">＜最初の出会い＞ コーディネーターとして駆け出しの時、会社のHPの6カ国版を作る...</summary>
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<name>samizu_y</name>

<email>samizu_y@sunflare.co.jp</email>
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<![CDATA[<p><strong><em>＜最初の出会い＞</em></strong></p>

<p><img alt="DSCF0513.JPG" src="http://blog.sunflare.info/samizu_y/DSCF0513.JPG" width="448" height="336" /></p>

<p><br />
コーディネーターとして駆け出しの時、会社のHPの6カ国版を作る、というプロジェクトを担当したことがあった。<br />
6カ国語は全てヨーロッパ言語で、当時売り出しはじめたSDLXという翻訳ツールを使っての作業が予定されている。<br />
まず最初にクリアすべきことは６カ国語の翻訳者を調達することなのだが、その時のイタリア人翻訳者との出会いが今の自分の職業観に与えた影響は大きい。</p>

<p>彼女の名前はラファエラ。<br />
初めてコンタクトをとったのは、電話でであった。<br />
その際、こちらは日本の翻訳会社で、英語→イタリア語のHP翻訳の案件でご相談したい云々、と切り出した覚えがある。<br />
最初の彼女の反応は芳しいものではなかった。「日本の」という言葉に警戒心を持ったのは明らかである。この種の反応は初めてではない。個人の翻訳者は万が一の場合に支払いを訴求できない外国の翻訳会社からの発注は警戒して避ける傾向があるのである。</p>

<p>とっさに相手の不信感を感じとった私は、「とにかく一度お会いできませんか？　お仕事を受けて頂くかどうかは、まずこちらのお話を聞いて頂いてから」と、誠意を込めて提案してみた。<br />
もう時間はない。この最初の面談で、なんとか相手の信頼を取り付けなければならない。<br />
私は自分のノートPCにプロジェクトに関する資料の他、自分の身分と会社について説明できるあらゆる情報を詰め込んで彼女の指定した喫茶店へ向かった。<br />
時間きっかりに現れた彼女は、喫茶店でただ一人アジア人である私を見つけ、満面の微笑みをたたえて近づいてきた。先ほどの電話口の応答からは想像がつかない笑顔である。彼女が入ってきただけで店の温度が一度上がったと思う程、一種のエネルギーを感じた。<br />
ウェーブがかかった豊かな明るい栗色の髪。暖色がセンス良く取り合わされた個性的な服装。小柄だが、存在感のある人だ。<br />
席に付き、軽く自己紹介を交わしたあと、我々は直ぐに本題に入った。<br />
この翻訳は、今まで主要なツールであったTRADOSではなく、当時まだ市場に出て間もないSDLXというツールを使った作業となるために、本人の前である程度実演してみせる必要があると思っていた。<br />
そこで、持ってきたノートPCを開き、既にSDLXに組み込まれた原本ファイルで実演しながらツールの使い方を一から説明し始めると、<br />
「ちょっと貸して」と、彼女は画面を自分の方に向け、上から下へと、ものすごい早さでイタリア語を入力し出した。ちょうどプロのピアニストが、新しいピアノの癖や使い心地を確かめる為に何曲かサーッと弾いてみる、そんな感じであった。<br />
翻訳を入力しながら、「用語を選ぶ時はどのキーを押すの？」「保存するときは？」<br />
「行をジャンプするのに、一番早い方法は？」「この固有名詞は造語っぽいけど、どういう意味？」等々、矢継ぎ早に質問を投げてくる。<br />
どの質問も具体的でクリア。ダイレクトに本題に切り込んでくる。しかし不思議と失礼な印象は受けない。彼女と頭をフル回転せざるを得ないスピーディーな問答をしている間、私は初めてこの欧州でプロとして看板を掲げている翻訳者のレベルというものに触れた気がした。百聞は一見に如かず。数週間かけて講義や研修を受けるより、一流の完成品を一目見た方がはるかに学ぶ事が多いことがある。もちろん、私はイタリア語を学んだことはないし、彼女の過去の翻訳作品を専門家と評定した訳でもない。しかし直感的に分かる。この人はプロだと。</p>

<p>そして、凄い早さでファイルに一通り目を通し、人のPCを色々いじって（？）ツールの使い勝手も一通り押さえたあと、「OK。日本の会社と仕事をするのは初めてだけど、この仕事、あなたを信頼してお引き受けするわ。明日中に発注書を送って。」と、快諾してくれた。<br />
そして、一言残念そうに、<br />
「あ、さっき入力した翻訳、保存しなかったでしょう？　残念ねぇ。まあたいした量じゃないからいいか。」<br />
正直いって私は、さきほど彼女はただ単にツールの使い心地を試す為に、適当なイタリア語を入れていただけだと思っていたのだ。しかし本人はちゃんと「翻訳」していて、１セグメントに平均してかかる翻訳の時間というものを計算していたのだった。<br />
そしてその上で、自分がファイル全体を翻訳するには何時間必要か、他の仕事と掛け持ちしても納期までに間に合うか、という計算を瞬時にしたのであった。</p>

<p>その後、正式な発注書を出して本格的に翻訳を始めてもらったのだが、１ヶ月ある納期で彼女は２週間で納品してきた。他の仕事も抱えていたので、それらを仕上げてから取りかかってくれたので、他の５人よりもスタートは２週間くらい遅かったはずだ。しかし品質的には申し分のない翻訳を納品してくれた。</p>

<p></p>

<p><br />
<em><strong>＜プロなら一日3000ワード。自分の最高は5000ワード＞</strong></em></p>

<p>彼女のプロ翻訳者としてのスタンスははっきりしている。<br />
品質とスピード。そして忘れてはならないのが営業的センスだ。<br />
まず、品質。誰が判断するかというと、言語学者でもなく自分でもなく、発注者であるクライアント、あるいはその発注者のクライアントである。どんなに「私の翻訳は文法的には間違っていない」と主張しても、クライアントが望む結果になっていなければもう注文はこない。一方、クライアント、ひいてはそのクライアントのニーズを先読みする翻訳サービス、いわば痒いところに手が届くような翻訳をすれば、彼らが離れるわけはない。それどころか口コミで客層は広がるばかりである。<br />
だから、どんなに馴染みになっても気は抜けない。彼らをつなぎ止めておくためにはよい仕事をするしかないのだ。</p>

<p>一方、クライアントが広がっても、彼らの注文をカバー出来なければ意味がない。注文が来るたび「すみません。現在他の仕事で手一杯で」とばかり言っていては、新規顧客はおろか固定客も離れていってしまう。また、１ワード訳してなんぼの世界なので、高収入を望むのであれば数をこなせなければ話にならない。その意味でも、「スピード」はプロ翻訳者として、品質と共に不可欠な要素なのである。<br />
ラファエラ曰く、<br />
「我々の業界でよく言われる基準は、一日3000ワード。私の最高は１日5000ワード。」<br />
では気になる彼女の収入は？　数年後大分親しくなってから聞いてみた。<br />
平均月額で4500ユーロ。通訳業が入った月は8000ユーロを超えるという。</p>

<p>もちろん、これだけ稼ぐには普通のサラリーマンとは違うライフスタイルになるのは当然である。まず、土日に働くのは当然、忙しい時は一日15時間仕事に精を出すという。通訳者という顔も持つため、移動の多い毎日であるが、いつでもクライアントが連絡をとれるように通信環境は万全にしている。VAIOとi-Phoneは世界中どこに行っても手放さない。<br />
何年も彼女と仕事をしているが、メールでも電話でも、レスポンスの早さは群を抜いている。また、どんな仕事でも彼女から多忙を理由に仕事を断られたことは一度もない。<br />
彼女のメールは（電話も）とても短い。即答即決。フリーランスという立場上、本業の他に秘書業も営業も経理も一人でこなさなければならない。時間をかけて慇懃な対応をするより、最小限の時間と言葉でクライアントに即答することを自分の営業スタイルとしている。</p>

<p><img alt="DSCF0514.JPG" src="http://blog.sunflare.info/samizu_y/DSCF0514.JPG" width="448" height="336" /><br />
<em>パリの喫茶店で打ち合わせ中、iPhoneに目をちらり。「あ、日本のサンフレアのコーディネーターからメールが１本入ってる！」</em></p>

<p></p>

<p></p>

<p>では年柄年中仕事漬けになっているかというと・・・・・　<br />
続きは後半で。 </p>

<p><br />
</p>]]>

</content>
</entry>
<entry>
<title>Baptême（洗礼式）に招かれて～　葡萄畑のあるブローニュの森の隠れ家</title>
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<issued>2008-06-15T22:00:33Z</issued>
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<summary type="text/plain"> パッシーの教会から車で10分。 ブローニュの森の中にひっそりと佇むその邸宅は、...</summary>
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<email>samizu_y@sunflare.co.jp</email>
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<![CDATA[<p><img alt="DSCF0582.JPG" src="http://blog.sunflare.info/samizu_y/DSCF0582.JPG" width="448" height="336" /></p>

<p>パッシーの教会から車で10分。<br />
ブローニュの森の中にひっそりと佇むその邸宅は、“パリ・バガテルの葡萄畑”というその名の通り、パリで唯一葡萄畑を栽培している個人宅である。<br />
http://www.lavignedeparisbagatelle.com/</p>

<p>蔦が絡まる鉄格子の門をくぐって石畳を渡ると、クリーム色の石造りの建物から女主人と制服を着た使用人が迎え出てきてくれた。<br />
吹きぬけの玄関ホールには、既にイタリア人の先着組みがシャンペングラスを片手にアペリティフを楽しんでいる。<br />
さすがは、イタリア人。アペリティフには、生ハムの盛り合わせや、生野菜のディップ、乾き物などが、綺麗にテーブルに並べられていたのだが、私達がそこにたどり着く頃には、生ハムの皿だけが綺麗になくなっていた。<br />
主役の赤ちゃんは？というと、安らかにお眠り。。。母親である友人も、ここぞとばかりに揺り篭を人気の少ない荷物置き場（？）に置いてアペリティフに合流。招待客一人ひとりを回って挨拶をはじめた。<br />
この様子を横で観察していると、改めてこの友人の達者な語学力に敬意を表せずにはいられない。前から知ってはいたが、彼女、ポリグロットなのである。彼女自身はポーランド人なので、自分の家族にはもちろんポーランド語で話すが、ご主人方のイタリア人ファミリーには、イタリア語、ドイツから来た友人にはドイツ語、そして私達夫婦にはフランス語と、人によってクルクルと言語を変えて話をする。しかも混ざらない。<br />
そんな彼女の多言語通訳のお陰で、最初は国籍ごとに固まっていた（？）我々招待客も、直ぐに打ち解けて親しくなった。</p>

<p><br />
<img alt="DSCF0598.JPG" src="http://blog.sunflare.info/samizu_y/DSCF0598.JPG" width="448" height="336" /></p>

<p><br />
<img alt="DSCF0585.JPG" src="http://blog.sunflare.info/samizu_y/DSCF0585.JPG" width="448" height="336" /></p>

<p><br />
食事は、サロンと一続きになったダイニングルームで行われた。テーブルの上には、友人の筆跡でそれぞれの招待客の名前が書かれたカードが置いてある。<br />
招待客の間で「言葉の壁」という問題があるだけに、席順を決めるのに、友人夫妻はかなり頭を悩ましたに違いない。</p>

<p>確かに、席順が決まった長テーブルの食事は、概ね息苦しくなりがちである。<br />
立食式と違って一度着席してしまうと自由に移動できないし、全く言葉の通じない人に挟まれたら食事の間中、気詰まりな思いをする。</p>

<p>しかし、計算され尽くした席順と配慮の行き届いた演出のお陰で、会食は言葉の壁を越えて和やかに、そして自然な雰囲気の中で進められた。<br />
この会がとても居心地のよいものになったのには、もう一つ、この建物、というか食堂の構造がととても解放的で、室内にいながら光と緑を沢山感じられるからではないだろうか。<br />
サロンと一続きになった食堂の窓は食事の間も常に開け放たれていて、庭に直接おりられるようになっている。２時間以上にわたる食事の間も、気分の赴くままに席を立って庭を散歩できる。レストランではなく、個人の邸宅だからこそ味わえる開放感である。</p>

<p></p>

<p><img alt="DSCF0579.JPG" src="http://blog.sunflare.info/samizu_y/DSCF0579.JPG" width="448" height="336" /></p>

<p><br />
「お庭でいかがですか？」<br />
給仕の人が気を利かせて、食後のコーヒーを庭でとるよう勧めてくれた。<br />
サロンのソファーで寛ぐ人、コーヒーカップを持って庭に移動人、各自が皆、すきずきに会食の最後のひと時を楽しんだ。<br />
庭におりると、右手にこの邸宅自慢の葡萄畑が目に入る。小規模ながらもちゃんと収穫が行われ、そこで採れた葡萄はワインに加工されるのだそうだ。</p>

<p><br />
<img alt="DSCF0580.JPG" src="http://blog.sunflare.info/samizu_y/DSCF0580.JPG" width="448" height="336" /></p>

<p><br />
主役の赤ちゃんは会食の間、泣き声もあげず終始ごきげん。色々な人に代わる代わる抱っこされても、荷物置場に揺り篭ごと置きっぱなしにされても、全く余裕である。<br />
彼女が大きくなって、結婚式を挙げる年頃になったら、きっとこの“パリ・バガテルのブドウ畑”で洗礼式のお祝いをしたことを両親から聞かされるだろう。そして、第二の人生の門出をもう一度ここで祝うことになるかもしれない。</p>

<p><img alt="DSCF0588.JPG" src="http://blog.sunflare.info/samizu_y/DSCF0588.JPG" width="448" height="336" /></p>]]>

</content>
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<title>Baptême（洗礼式）に招かれて</title>
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.sunflare.info/samizu_y/rkive/000318.html" />
<modified>2008-12-02T11:14:53Z</modified>
<issued>2008-06-08T16:55:44Z</issued>
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<summary type="text/plain"> ５月１８日。 まだまだ肌寒いけれど灰色の空に新緑が明るさを添えはじめる季節。 ...</summary>
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<email>samizu_y@sunflare.co.jp</email>
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<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://blog.sunflare.info/samizu_y/">
<![CDATA[<p><img alt="DSCF0566.JPG" src="http://blog.sunflare.info/samizu_y/DSCF0566.JPG" width="448" height="336" /></p>

<p><br />
５月１８日。<br />
まだまだ肌寒いけれど灰色の空に新緑が明るさを添えはじめる季節。<br />
去年の１２月に生まれた友人夫妻の赤ちゃんの洗礼式に夫婦で招待された。<br />
私自身はキリスト教徒ではないし、日本でもカトリック教徒の洗礼式に招待されるという経験はなかったので、光栄さと好奇心も手伝って喜んで参列させてもらった。</p>

<p>洗礼式はパリ１６区のノートルダム・ド・アソンプション・ド・パッシーという教会で行われた。<br />
集合時間の12時15分に教会の前に赴くと、友人の家族と見られる礼装した人々が既に集まっていて、和やかにお喋りをしていた。<br />
彼らのお喋りに耳を傾けると、フランス語は一言も聞こえてこない。<br />
イタリア語、ポーランド語、ドイツ語．．．．。<br />
それもそのはず。<br />
友人夫妻とはイタリア人の夫とポーランド人の妻という国際結婚カップルなのだ。<br />
その二人がドイツで出会い、イタリアで結婚し、フランスで子供をもうけた、ということで、家族・交友関係もかなりインターナショナルになってしまった。<br />
35人の招待客中、フランス語を理解するのは、神父と夫と私だけ。<br />
フランスにいながら、私達夫婦は最も少数派に属することになってしまった。</p>

<p>洗礼式の始まりを告げる合図があり、皆礼拝堂の席に腰掛けた。<br />
さあ、これら多国籍参列者の前で神父はどの言語を使うのか．．．。</p>

<p>なんと神父はこちらの予想を超え、二国籍カップルの家族に配慮すべく、イタリア語とポーランド語の二ヶ国語で式を進めたのである。<br />
信者でない私は、ひたすら神父の堪能な語学力と厳かな雰囲気に感動することしか出来なかったが、敬虔なカトリック教徒である友人夫妻にとっては感無量の出来事だったらしい。<br />
神父が赤ん坊の頭に水をかけた瞬間（赤ん坊はギャーッと泣き出したのだが）、二人とも感動のあまり涙ぐんでいた。</p>

<p><br />
<img alt="DSCF0571.JPG" src="http://blog.sunflare.info/samizu_y/DSCF0571.JPG" width="448" height="336" /></p>

<p></p>

<p>これで自分達の子供の誕生がカトリックの世界で認められたという安心感と誇らしさ。<br />
“キアラ”と名付けられたこの小さなハーフの女の子は、その後、教会発行の洗礼証明書を授与され、晴れてカトリック教徒となった。<br />
将来結婚式を教会で挙げるときは、この証明書が必要だという。</p>

<p>洗礼式が終わった時、時計はすでに午後１：30を回っていた。<br />
「さあ、みんな！お食事をしながらキアラの洗礼をお祝いしましょう。」</p>

<p>友人が招待客の為に手配したタクシーが続々と教会の前に到着した。<br />
行き先はブローニュの森の中にある個人所有の邸宅。<br />
友人が今回のレセプションの為に半日借り切ったという。<br />
この場所のセレクティングに彼らがかなり自信を持っていたのを知っていたし、お腹もかなり空いてきたので、いそいそと車に乗り込んだ。</p>

<p>（つづきます）<br />
</p>]]>

</content>
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<title>フランスにみる少子化対策～第９話（最終回）　母親になっても．．．</title>
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.sunflare.info/samizu_y/rkive/000317.html" />
<modified>2008-12-02T11:14:53Z</modified>
<issued>2008-06-01T22:59:16Z</issued>
<id>tag:blog.sunflare.info,2008:/samizu_y/8.317</id>
<created>2008-06-01T22:59:16Z</created>
<summary type="text/plain">女性の職業事情、国のバックアップシステム、カップルの形態．．． フランスの女性が...</summary>
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<name>samizu_y</name>

<email>samizu_y@sunflare.co.jp</email>
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<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://blog.sunflare.info/samizu_y/">
<![CDATA[<p>女性の職業事情、国のバックアップシステム、カップルの形態．．．<br />
フランスの女性がこんなにも飛躍的に子供を産むようになった要因を色々挙げてきたが、つまるところ、これら全ての現象が、子供中心ではなく「大人中心の社会」が具体化された形ではないかと思う。</p>

<p>この「大人」達は、自分達の人生をどのように演出していくか、いつも真剣である。<br />
子供を作ると決めるのも、「自分の人生を素晴らしくするには子供が必要だから」。<br />
そして子供の存在は自分の人生の1部であって全てではない、と言い切ることをいとわない。</p>

<p>女性にとっても、子供と仕事、恋愛（夫との関係も含めて）、友達との付き合い．．．<br />
これらはどれか一つ選ぶべきものではなく、全て人生を豊かにする上で必要なものと看做されている。<br />
フランスの女性は、母親だけになり切ることを断固として拒否し、これらの要素をいかにバランスよくこなすかに忙しい。<br />
そして、そのためには、大きな出費をして子供を他人に預けるのもいとわない。</p>

<p>日本人の感覚からは、こういう彼女達の意識が、母親として中途半端とか、我まま、無責任と感じられる部分もあるかもしれない。<br />
しかし、この母親達のある意味での我まま、バランス感覚が「育児ストレス」ひいては「幼児虐待」という社会問題を縁遠いものとしているのは確かである。</p>

<p>「自分勝手」なフランスの大人たちは、他人の「自分勝手」にも寛大である。<br />
妻子のある男性の子供を一人で産もうが、子供が出来た後に男性が別の女性のもとに走っても、社会的、法的に糾弾されることはない。<br />
ラテン人の国らしく、こういう場面には皆、「人生とはそういうものだから仕方が無い」と、実にアッサリ理解を示す。</p>

<p>実際、くっついたり離れたりと何かと慌しいフランスの恋愛社会において、離別後、二親の間を一週間ごとにボールのように交代で過ごさせられる多くの子供達を見ていると、確かに大人の身勝手さを感じざるを得ないことがある。</p>

<p>しかしそういった弊害を差し引いても、「子供を作り育てる」ということについて、どういう動機で、どんな相手とどんな方法でやっていくかについて、世間から干渉や批判を受けずに、自由に決められ、且つその結果についても平等の待遇を受けられる社会の方が、古典的な「母親のあるべき姿」が規範として根強く存在している社会よりも、出生率への足かせは少ないようだ。</p>

<p>子供を持つフランス人の友人はいう；<br />
「子供の幸せはもちろん重要。でもその為には、まず母親である自分が生き生きして幸せでなければね。」<br />
</p>]]>

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<title>フランスにみる少子化対策～第８話　もはや“普通”の高齢出産と婚姻外出産</title>
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<![CDATA[<p>週末、天気のいい日に公園や街を散歩していると、「出生率２（※2006年2.01／ 2007年1.98）という数字の迫力を間近に体験できる。<br />
歩道はベビーカーで溢れかえり、芝生や砂場は足元もおぼつかない小さい子供達で埋め尽くされる。<br />
しかし彼らの保護者に目を向けると、必ずしも若くはない。どう見ても、大多数が30代半ばから40代後半ではないか、との印象をうける。　白髪の紳士が子供と遊んでいるのを見て、孫のおもりをしているのかな？と思いきや、子供が「パパ！」と呼んでいるのに驚かされたりする。</p>

<p>この光景を見て、誰もが「高齢出産」という言葉を頭に浮かべるのではないだろうか。<br />
仏国立統計所の発表によると、2007年の平均出産年齢は29.8歳。新生児の21.1％が35歳以上の女性から誕生したというのだから、この印象もまんざら外れていない。</p>

<p>女性が職を持つことが当たり前とされているフランスでは、子育てと仕事が両立しやすいような社会的制度と文化があることは前に述べた。しかし、それらは当然、健康的・年齢的限界という医学的なハンディーまでは解決できない。<br />
そこでフランスは、「子供が欲しいけれど授からない」という女性達に、医療面でも全面的な支援策を用意している。</p>

<p>フランスでは妊娠、出産に関する費用は全額国負担であることは周知のとおりだが、いわゆる「不妊治療」についても、一定の手続きさえ踏めば、100％保険で受けられる。<br />
例えば、日本では保険のきかない「体外受精」については、42歳まで年４回を限度として保険で行える。もちろん保険でカバーされるのは、診察費・手術費の他、エコグラフィー、注射、薬、血液検査など全ての付随的な医療費も含まれている。<br />
この不妊治療の究極の方法である「体外受精」も、健康保険証（仏語ではCarte Vitaleという）を持っている人なら特別な条件無しに等しく保険で行うことが出来るので、不妊に悩む女性にとっては力強い。<br />
そしてこのことが、フランスの出生率の重要な引き上げ要因の一つとなっていることは言うまでもない。</p>

<p>高い出生率に関して、フランスならではの面白い特徴がある。<br />
2007年、フランスでは初めて未婚カップルの間に生まれた子供の割合（50.5％）が既婚カップルにできた子供の割合を上回ったという。<br />
この「未婚カップル」の内訳は、①普通のカップルだが、本人達の方針で「結婚しない」と決めているパターン　②片方あるいは、双方に既に配偶者がいるため（いわゆる不倫）結婚せずに子供を作ったカップル、③同性カップル同士で子供を人工授精で作ったパターン、などである。</p>

<p>そして、未婚カップルの間の子供がこれほど多いのは、この国では「両親が結婚していない」という事実が子供にとって、もはやハンディーではなくなった　（戸籍や相続面における婚外子差別は撤廃されている）　だけでなく、物理的、社会的にも「結婚」という制度が子供を持つための「必要条件」ではなくなったからである。</p>

<p>（つづきます）<br />
</p>]]>

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<title>フランスに見る少子化対策～第７話　よいヌリス（ナニー）に巡り合うのは難しい？</title>
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<summary type="text/plain"> 昼下がりの公園の典型的な風景～子供達を遊ばせながら、世間話に花を咲かせるヌリス...</summary>
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<![CDATA[<p><img alt="DSCF0564.JPG" src="http://blog.sunflare.info/samizu_y/DSCF0564.JPG" width="448" height="336" /></p>

<p><em><strong>昼下がりの公園の典型的な風景～子供達を遊ばせながら、世間話に花を咲かせるヌリス達。アフリカ系や東欧系の女性が多い。</strong></em></p>

<p><br />
ナニーつまりヌリスに毎日自宅まで通ってもらい、一日中子供を見てもらうことは、経済的に余裕さえあれば供働きの家庭にとってはとても便利な託児法である。<br />
日本と違い、中間管理職クラス以上の家庭になれば、ヌリスを雇うことはそんなに珍しいことではない。ただ、最低でも１ヶ月に、（日本円に換算して）４０万円以上かかるので、実際は、超高所得家庭でない限り、３家庭くらいで一人のヌリスをシェアすることが殆どである。</p>

<p>しかし、ヌリスは面識のない赤の他人だけに、雇用者家庭との相性、能力の面でかなり当たり外れがあり、ピッタリ気に入ったヌリスに出会うのはそう簡単でないらしい。<br />
例えば、私のフランス人の義姉は“英国上流社会流”保育をスペシャリティーとするヌリスを雇ったが、あまりにもそのメソッドが厳しく、マニアックだったので（ex.親が子供の頬にチュッとむやみにキスをするのを禁止）１週間で辞めてもらったという。</p>

<p>逆に、あまりにも怠慢なヌリスにしか巡り合わず、２年間に３人以上変えた友人もいる。　この友人からクビにされたヌリスは、雇われた最初の数週間は真面目であった。しかし慣れてくるにつれ、遅刻や当日朝のキャンセルが頻繁になり、挙句の果てには育児の合間に毎日のように長電話をしたり、勝手に彼氏や友達を頻繁に家に呼び入れたりするようになったという。<br />
しかしこの友人、４人目にしてやっと理想のヌリスに出会うことができた。<br />
なんと“男性”である。<br />
さんざん“女性のヌリス”にイライラさせられた彼女曰く；<br />
「ヌリスで失敗しないためには、男の子を雇うことよ！　男の子を雇ってから、今までヌリスに抱いていた不満が一切解消されたわ。　彼はまだ20代前半だったのに、それはそれはプロ意識が高くて、無遅刻無欠勤、言われたことややるべきことを淡々と丁寧にこなしてくれた。ヌリスは何も女性に限定された仕事ではないと初めて実感したわ。」</p>

<p>　　　　　　　　＊　　　＊　　　＊<br />
ところで、アメリカ（最近日本でも）では家政婦や親による「幼児虐待」がかなり問題になっているようであるが、フランスでそれが社会問題としてとり扱われたのをまず聞いたことが無い。私の交友範囲の中の反応も「それってアメリカでよくあるらしいわね」と、まったく他人事である。</p>

<p>「幼児虐待」の主な原因が保護者の“育児ストレス”から来るのだとすれば、確かにフランスではこの問題が発生する条件が少ないのかもしれない。<br />
まず、母親たちは育児ノイローゼになる暇もなく、出産後数ヶ月ですぐ仕事場に復帰する。<br />
子育てのシンドイ部分は外の人任せだから、育児でストレスが溜まって自分がコントロール出来なくなるまで追い詰められたりはしない。<br />
むしろ、限られた時間にしか会えないわが子に「厳しく出来ない」ため、極度な甘やかしとしつけの不十分さが逆に社会問題として取り上げられることがある。<br />
ヌリスや家政婦についても、ラテンというお国柄かもしれないが、かなりマイペース、あるいは割り切っていて、ストレスやイライラを感じるほど自分を追い詰めて仕事をしない。</p>

<p>（続きます）<br />
</p>]]>

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<title>フランスに見る少子化対策～第６話　保育園が無理でも．．．</title>
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<summary type="text/plain">この「子供の社会化」という概念、今、フランスで特に大切にされている概念である。 ...</summary>
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<![CDATA[<p>この「子供の社会化」という概念、今、フランスで特に大切にされている概念である。<br />
親も、子供の社会性が少しでも身につくようにと、積極的に集団生活が予定されている保<br />
育園に預けようとする。</p>

<p>残念ながら子供を保育園に入れられなかった場合、よく使われる手段が「保育ママ」制度。<br />
子育てがひと段落した女性の家に子供を預けるというシステムである。<br />
保育ママは、最大３人まで子供を預かれる。<br />
保育ママには、保育士に要求されるような試験や看護士資格は必要ないが、自治体からの認定を受け、子供の受け入れ環境などについて公的機関からコントロールを受ける。<br />
国からの減税措置や託児補助を併せると、実質負担は月200～250€くらい。<br />
費用的にも手ごろで、少数ながらも他の子供たちとの交流もある、ということで、現在フランスでもっともよく使われている託児法のようだ。</p>

<p>しかし「保育ママ」も今となっては保育園同様、深刻な空き不足に見舞われている。<br />
そこで、最後の手段は、「ナニー」の雇用。<br />
自宅にきて子供の面倒を見る人を雇用することである。フランス語では「ヌリス（愛称ヌヌ）」という。</p>

<p>これはとても高くつく。<br />
フランスの最低賃金が自給8.4€なので、仮にこの最低賃金で一日10時間ヌリスに見て貰うとしても、一月の費用は次のようになる。<br />
まず、ヌリスの額面給与は8.4€×10（ｈ）×20（日）＝1680€<br />
これに、雇用者負担の社会保険料（被雇用者給与額面の約50％）をたすと、<br />
1680€＋840€＝2520€（日本円で約428,400円）という金額になってしまう。<br />
普通の一般家庭では、減税措置や補助金をうけてもかなり負担になる金額である。<br />
そこで、同じ年端の子供を持つ複数の家庭がヌリスをシェアしたりする（各家庭が交代でヌリスに来てもらう）。<br />
例えば３世帯で分ければ費用も３分の１になるから、かなりの節約になる。</p>

<p>「ナニーを雇っている」というと、日本ではどちらかというと特殊な家庭のイメージがあるのだが、ここフランスでは、どちらかが中間管理職以上の共稼ぎの家庭では普通にみられることである。</p>

<p>家庭にもよるが、馬が合えば、生まれて数ヶ月から1０歳くらいになるまで子供の面倒を見てもらうヌリス。<br />
子供にとっては第二の母親のような存在であるし、彼女が子供に与える影響も大きい。</p>

<p>ただ、ヌリスを雇うということは、家庭の中に「他人」を長期間入れるということである。<br />
そしてそれ故に問題やトラブルも絶えないようだ。</p>

<p>（続きます）<br />
</p>]]>

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<title>フランスに見る少子化対策～第５話　激戦！保育園</title>
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<summary type="text/plain">まず職場復帰したい母親達の夢は、「保育園」に子供を預けること。 なぜ、「夢」と大...</summary>
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<email>samizu_y@sunflare.co.jp</email>
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<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://blog.sunflare.info/samizu_y/">
<![CDATA[<p>まず職場復帰したい母親達の夢は、「保育園」に子供を預けること。</p>

<p>なぜ、「夢」と大げさにいうかというと、それだけ預けられる可能性が少ないということと、親にも子供にとっても預けられた場合のメリットがとても大きく、ラッキーだと考えられているからである。</p>

<p>パリのような大都市になると、保育園の数が希望者に対して圧倒的に少なく、子供を預けられる人は10％に満たないという。<br />
保育園には生後3ヶ月にならないと受け入れてもらえないが、なにせ誰もが定員に空きが出来るのを虎視眈々と狙っている。<br />
パリでは妊娠がわかったら直ぐに希望の保育園に申し込み手続きをする、というのが常識となっている。</p>

<p>でも、どうしてそんなに保育園がいいのか。<br />
公立・民間に拘わらず認可保育園は、地域にもよるが、大体午前７時～午後７時くらいまで子どもを預かってくれる。また、ほかの託児手段（ベビーシッターの雇用等）に比べて費用がかからない（所得や子供の数に応じて一日３ユーロ～29ユーロ）という点も魅力である。</p>

<p>しかしもっと本質的な理由がある。<br />
保育園が、保育のプロフェッショナル集団だということだ。<br />
そして、そのプロに子供を託することは、彼らの成長・発達にとてもプラスになる、という親の熱い期待がこめられている。</p>

<p>保育士は、既に看護士或いは助産婦の資格保有者であることが前提である。<br />
更に保育士の資格を取るためには、その後に理論、実技を含めて約１５００時間に渡る専門教育を受け、国家から免許を受けなければならない。この専門教育を受けるには、国の選抜試験に合格する必要がある。　<br />
また、保育士のほかに、保育補助員、臨床心理士、さらに遊びや玩具などを監督して子供達の成長をサポートする幼児教育者という専門職員も存在する（もちろん彼らは皆、有国家資格者である）。</p>

<p>そんな彼らが掲げる究極の目的、それは「子供の社会化」である。<br />
母親との関係を再現したり母親の不在を埋めたりするものでは決してない。<br />
彼らは保育のプロという独特の視点で、子供が一人の人間として母親がいなくても他の大人や子供達と十分にコミュニケーションできること、精神的な自立を促すことを主眼に保育をする。<br />
だから、母親と離れて泣きじゃくる子供を抱き上げたり、赤ちゃん言葉で話しかけるということはしない。その代わり、「目を見ながらしっかり話して説得する」という。<br />
子供の動作や遊びにも直ぐに介入して手助けすることはせず、子供が一人で学び、経験するよう監督している、というスタンスのようだ。</p>

<p>(つづきます)<br />
</p>]]>

</content>
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<title>フランスに見る少子化対策～第４話　職業にこだわる母親達</title>
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.sunflare.info/samizu_y/rkive/000256.html" />
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<issued>2008-04-24T20:35:30Z</issued>
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<summary type="text/plain">女性は男性と同様、社会に出て働くことが前提となっているフランスでは、 妊娠するこ...</summary>
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<email>samizu_y@sunflare.co.jp</email>
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<![CDATA[<p>女性は男性と同様、社会に出て働くことが前提となっているフランスでは、<br />
妊娠すること、或いは妊娠していることが、キャリア上のハンディとならないように配慮されたシステムが存在する。</p>

<p>例えば、女性は特に団体協約で定められた優遇規定の適用を受けたい場合を除いて、自分が妊娠していることを雇用主に通知する義務はない。雇用主も女性が妊娠していることを理由に採用を拒否したり、解雇したりすることは法律で禁じられている。<br />
そして法律で定められた産前６週間、産後１０週間（計１６週間）の産休期間は、ほぼ手取りの給料と同額が支給され（上限あり）、出産前に２年以上連続で働いた女性には二人目以降の出産後、子供が３歳になるまでは育児休暇を取る権利もある。育児休暇期間中は無給だが、そのかわりに国から育児休暇手当てが出る（月５３０ユーロ）。<br />
しかも、産休・育休から職場復帰するにあたっては「前のポスト、或いは少なくとも同等の報酬で同等の仕事に戻れる」ことが法律で保障されている。</p>

<p>産休、育休後の職場復帰につきものの懸案事項、「復帰後ポスト」についてまで国が配慮してくれているのだから、フランス女性はさぞかし自由で融通の利くライフスタイルを送っているように思える。<br />
しかし、実際に色々な人の話を聞いてみると、法律で保障されているものの、産休に加えて育児休暇をとる人は全体の２割前後にすぎないという。<br />
いくら法律で職場復帰後のポストが保障されていても、実際は会社を空ける期間が長ければ長くなるほど、他の人に自分のポストを奪われる可能性が大きくなるし、事実上、自分は第一線の戦力としてはカウントされなくなってしまうからである。<br />
さすがに育児休暇に関しては、「権利としてはあるが、目一杯行使すると不真面目な人と看做される」傾向があるようだ。日本の有給休暇完全消化に対する感覚に似ている。</p>

<p>また、これは個人の所得差にもよるが、無給で月々の育児休暇手当をあてにするよりも、フルに働いて通常の手取りをもった方が経済的にも安定する、という面もある。</p>

<p>というわけで、働く女性のほとんどが産後１０週間で職場に復帰する。</p>

<p>ということは赤ちゃんはまだ３ヶ月。そして仕事はフルタイム。<br />
どうやってフランスのお母さんはこれからの育児を乗り切っていくのか。</p>

<p>フランスは、母親の仕事と子育ての両立を可能にするような託児法、学校制度がある。</p>

<p>（つづきます）<br />
</p>]]>

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